新元号「令和」

 本日2日は戸田先生の祥月命日です。

 「万代に年は来経とも梅の花絶ゆることなく咲きわたるべし」。万葉集の巻第五にある梅花の歌三十二首の一つ。「世々に年は来て過ぎて行くとも、梅の花は絶えることなく咲き続けることだろう」との意味だ。(『万葉集岩波文庫
 新元号「令和」は、この梅花の歌三十二首の序文が由来。来る年来る年、厳しい寒さの中、梅はどの花にも先駆けて咲き始める。同じように、厳しい試練が社会に襲いかかろうとも平和の花、幸福の花が咲き薫ることを願う。
 万葉集には天皇や貴族だけではなく、多くの庶民の歌がある。ここに、万葉集の不滅の価値があろう。文化は「民衆の声の集積された表現」とは、ジャズ音楽家ハービー・ハンコック氏の言葉だ。
 御書に「桜梅桃李の己己の当体を改めずして無作三身と開見」(784ページ)と。桜も梅も桃も李も、それぞれが美しいように、どれだけ時代が移り変わろうとも、庶民があるがままで輝き、躍動してこそ、美しい「令和」の時代が築かれよう。
 梅花の歌三十二首には、こういう一首もある。「梅の花咲きて散りなば桜花継ぎて咲くべくなりにてあらずや」(梅の花が咲いて散ったら、桜の花が続いて咲くようになっているではないか)。爛漫の桜を仰ぎながら、新しい時代を、新しい決意で出発したい。(芯)

 2019.4.2付 聖教新聞 名字の言

 新元号「令和」について、いろいろな方が見解を述べておられています。それぞれの境界によって違うものだなと思いますが、本日の「スッキリ」のロバート・キャンベルさんの見解が素晴らしいと思いました。

 たとへば餓鬼は恒河を火と見る・人は水と見・天人は甘露と見る、水は一なれども果報にしたがつて見るところ各別なり

 「法蓮抄」御書P1050 L9