評論家に

 いかなる時代、いかなる国においても、偉業を完遂しゆく時には、必ず批判の嵐と苦難の道を戦い抜いたのである。あたかも、大船の進行に荒波の立つごとく、疾走する自動車に風当たりの強きがごとくに、王仏冥合達成過程の証拠として、必ずや三類の強敵あるは、法華経勧持品の金言である。御書にいわく「行解既に勤めぬれば三障四魔紛然として競い起る」(御書P1087)と。これ、日蓮大聖人の、われら地涌の菩薩に残された柔和忍辱の指針である。

 戸田前会長は「僭聖増上慢とは、国家権力および一流評論家の学会批判なり」と喝破した。また「学会批判の評論家が『しまった』と気がついた時が広宣流布の時である」と常に申されていた。

 いま、これらの聖哲の鏡に照らし、学会批判の嵐が一段と烈しくなってきたことは、まことに喜びにたえないではないか。私は各所にみる評論家の学会批判が、盛んであればあるほど「広宣流布、今なり」の感を深くするのである。

 ひるがえって、学会批判の評論家たちの、まことに浅薄な、皮相的な、そして、うろたえた姿を、情けなく思うとともに、おかしくもあり、また哀れに思えてならないのである。

 彼らは、学会の強固な団結をみては「ファッショ」と疑い、すばらしい統制力に驚いては「軍国調」と悪口する。偉大な折伏成果を聞いては「狂信的」と非難する。その彼らが、かつては「正しい宗教なら、なぜ大衆に広まらないのか」と批判したのであった。少ない時は小教団と軽蔑し、多くなれば「ファッショ」であると非を鳴らす、愚かな論理よ。批判のための批判なら小学生でもできるではないか。

 これら評論家たちの、何と浅学な、何と臆病な、神経質な言論であることか。彼らの大部分は、感情、偏見、陰険におおわれた評価であり、まことに笑止というほかはない。彼ら白身は、いかなる信念、いかなる主義・主張を堅持しているのかといいたい。そして、いかなる規準で学会を批判しているのかと反詰したい。彼らには、はたして、日本国民の今後の方向、進路を示すべき指導理念が存在しているというのか。彼ら評論家こそ、言論の自由をかさに着て、民衆を愚弄し、軽蔑し、責任もなく、思うがままに権力者のごとく振舞ってきている。思い上がりも、はなはだしい。これ、増上慢と断ずるものである。とまれ、彼らがいかに横暴でも、一千数百万民衆の正義の叫びに太刀打ちはできまい。

 言論は自由である。おたがいに勇ましく民主主義の確立と、仏法の正邪の究明のためには、堂々とさらに言論戦を展開したい。しかし、自己の思想の根拠もなく、勝手に批判のみして、都合が悪くなれば、言を左右してゆくごときは、実に卑怯といわざるをえない。

 日蓮大聖人は、かかる学者や評論家に対して「一念三千の法門をふりすすぎたてたるは大曼陀羅なり、当世の習いそこないの学者ゆめにもしらざる法門なり」(P1339)と喝破しておられる。深遠な仏法の大哲理も知らず、真の宗教こそ一切の文化の土壌であることも理解できず、ただ目先の利害にとらわれて、評論のための評論に終始し、空しく一生を終わる曲学阿世の徒の、いかに多きことか。これ乱世というほかはない。

 われらは、評論家に、日蓮大聖哲の、山をも抜く民衆救済の大言論を、一度でも拝読し、研究したことがあるかと言いたい、峻厳な因果の理法が、やがてわが身に、仏罰となって還ってくることもわきまえぬ、哀れな三流評論家たちが、国を滅ぼしているといっても過言ではなかろう。御書にいわく「過去現在の末法法華経の行者を軽賤する王臣万民始めは事なきやうにて終にほろびざるは候はず」(P1190)と。

 「信なき言論、煙のごとし」とは、恩師の戒めである。人気商売のごとく、奇抜な表現のみに終始している、現今の評論家の多くは、信念なき道化役者といわれても仕方があるまい。

 仏法のことは、学会が専門である。所詮、われらが評論こそ、文証、理証、現証のうえから、責任と確信をもって、民衆の中に盛リ上がる真の評論である。権力にも利益にも人気にも左右されない、信念の評論であり、正義の評論であると確信して止まない。

 もはや、一方的な批判、職業評論家の時代は過ぎ去った。われらは新しい民衆の大評論家として、堂々と言論界に君臨していこうではないか。民衆が渇仰し、民衆より喝采を博す、輝かしい建設的な言論、評論の火ぶたを切っておとそう。そして、新しき世紀を、絶対にわれらの手で築いてみせようではないか。その時の彼らのあわてふためいた顔を心にえがきつつ。
【昭和39年11月1日付 大白蓮華 巻頭言】


先生はこの時 36歳、第三代会長に就任されて4年半。