王仏冥合(おうぶつみょうごう)

 王法と仏法が冥合すること。三大秘法抄に「戒壇とは王法仏法に冥じ仏法王法に合して」(P1022)と述べられているところに由来する。王法とは王の法、すなわち国王の法令・政治のこと。広くは世法の意。仏法とは、末法の今日では日蓮大聖人の三大秘法の南無妙法蓮華経をいう。王法が仏法に冥ずるとは、王法が仏法の慈悲の精神、法理などに冥々のうちに基づいていくということ。
 冥とは顕に対する語で、表立たないの意、奥深い次元をさす。王法の理想は民衆の福利にあり、その理想を実現していくことがそのまま仏法に冥ずることになる。
 仏法が王法に合するというのは、仏法の生命尊重の法理、慈悲の精神などが、仏法を持った人々の社会での活躍を通じて、現実にあらわれていくということで、世間法のなかに仏法の精神があらわれ、契合することをいう。
 また、冥合とは、深く合一するとの意で、仏法が王法の根底となることであり、仏法がそのまま王法にあらわれてくることではない。したがって、王仏冥合とは、仏法を土壌として一切の政治・文化の草木が生長発展する姿としてとらえることができる。
 たとえば政治の面では、仏法が直接的な形で政治にあらわれるのではなく、仏法の生命尊重、慈悲の精神が政治の根本理念として、また政治にかかわる人を介して、政治に具現されることをいう。仏法は、単に個人の段階にとどまるのではなく、その法を広く社会に反映し、理想的な平和社会の建設を目指すことが重要な目的となる。
【仏教哲学大事典(第三版)2000年11月18日 発行 より】