創価の勇気は無敵なり
仏法は
勝負なりせば
勝ちまくれ
勇気と祈りで
歴史 残せや
「勇気こそは、人生と人間を救うことのできる唯一のものなのである」と、デンマークの大哲学者キルケゴールは言った。
勇気なくして、人生は開けない。
勇気なくして、人間は救えない。
日蓮大聖人は、青年・南条時光のお母さんに仰せになられた。
「夫れ浄土と云うも地獄と云うも外には候はず・ただ我等がむねの間にあり」「法華経をたもちたてまつるものは地獄即寂光とさとり候ぞ」(御書P1504)
小さな自分の苦しみに囚われていると、心は狭い地獄界に閉ざされたままである。しかし、心の奥深くには、大海原よりも、大空よりも壮大な仏界の境涯が広がっている。その大いなる仏の生命を湧現して、現実社会に寂光土を築きゆく力こそ、信心の勇気なのだ。
師・戸田城聖先生は語られた。
「仏の勇気は、一切の不幸をはね返す。悪鬼魔民さえも、仏法のために働かせる。自分から勇んで躍り出れば、いまだかつてない突破力が湧いてくるのだ」と。
わが師が誓願された広宣流布の大目標を実現するため、私は常に激戦の主戦場へ飛び込んでいった。
若き命に持てる武器は、ただ一つ――。勇気ある信心である。
昭和三十一年、関西では、けなげな同志と、未聞の民衆城の大建設に挑んだ。
不可能を可能にせんとする勇戦のうねりの中で、一人また一人と、わが友が苦悩の宿命を打開し、生き生きと幸福勝利の実証を示していくことが、何よりの喜びであった。
釈尊の遺言の一つに、「父母の心平等ならざるには非ず、然れども病子に於ては心則ち偏に重きが如し」(御書P1253)とある。
仏の慈悲に、分け隔てはない。しかし、悩める人、逆境と戦う人にこそ、格別に深く注がれる。
どんな人も見放さない。決めつけない。切り捨てない。信じ抜き、手を差し伸べて、仏性を呼び起こす。これが仏法の人間主義だ。
迷える心に勇気の一歩を踏み出させる力は、真心の励ましである。励ましが勇気を生む。ここに、創価の世界の限りなき勇気の連鎖がある。
昭和三十五年の十一月、長野支部の結成大会で、固い握手を交わした忘れ得ぬ地区婦人部長がいる。実に四百世帯を超える弘教をされ、病気も経済苦も克服された。
この信越の母は語っておられる。
「すばらしい信心ができたのです。怯んでなどいられません。何があろうと仏法は勝負です。師と共に戦い、勝つために、私は生まれてきました。勇気があれば、十倍、百倍の力が出ます」
母の勇気に敵うものはない。偉大な母たちの頭に、わが後継の青年部は勝利の宝冠を捧げてもらいたい。
南米アルゼンチンの友も、「全員が壁を破ろう!」と深刻な不況を乗り越えながら、四年間で座談会の参加者は五倍に広がり、本年三月の青年平和文化祭を大成功で飾られた。
恩師の言葉が蘇る。
「勇気が慈悲に通ずる。勇気で人を救い、社会を救うのだ。偉大な闘争をやろうではないか!」
師弟不二
無敵の記別を
いま 君に
断固 勝ち披け
常勝創価と
このたびの東日本大震災に被災された方々にお見舞い申し上げます。
また、一日も早く復興されます事をお祈りいたします。