”目隠しと口車”の日本

「これまで中国人は、人生を正視する勇気を欠いたがために、
目隠しと口車に頼ることになり、かくて目隠しと口車の文芸をうみ出した」(竹内好訳)
文豪・魯迅は、当時の文壇の気風をこう酷評した。
「目隠しと口車の文芸」現世の矛盾を押し隠す文士らへの怒りの筆鋒であった。
いずこも同じ。変革を恐れる社会は、この「目隠しと口車」が幅を利かせ、
民心の高揚を抑え込もうとするものだ。
創価学会の大躍進に対する戦後日本の態度も、こんな程度のものであった。
口車---すなわちデマ。
"学会は香典を持っていく"だの"住民票移動"だの、数十年来、
バカの一つ覚えの嘘を振りまく政治屋、俗悪誌。
目隠し---すなわち黙殺。
世界190カ国・地域で信頼を広げ、
池田名誉会長に170以上の名誉学位など無量の讃嘆が寄せられている事実を、
見て見ぬふりするマスコミ。
いずれも、学会という桁外れに偉大な社会貢献の団体を正視する勇気も見識もない、
島国の頑迷固陋ぶりであった。
文豪いわく「正視さえなおざりにするのでは話にならない」
「そのこと自体が国民性の怯儒と、怠惰と、狡猾さのあらわれである」(同)
全く然り。認識せずして評価するなとは、牧口初代会長以来の我らの主張だ。
正視しないから、発展の秘密がわからない。
だから嫉妬の炎に焼け焦がれ、的はずれな讒謗や陰謀に走り、
裁判等で大恥をかくのだ。「世界は日ごとに変化する」(同)。
話にならない日本の愚者らよ、
隆々と栄えゆく創価の大連帯を正視せよこれが21世紀の試金石だ。
(小泊聡)