昨日は、会合の時間も忘れコメント欄に思いを書かせていただきましたが、
いかがでしたか?
「怪文書」の件ですが、こちらでも協議会で話題になり、
私も最初は「へぇ、こんなセミナーもあるんや」と思って、
なにも検証しないまま、受け入れておりました。
婦人部の副本部長が「私も見たこと有あるわ。そやけど、
指導はあくまで先生の指導を求めんのんが学会でしょ!
そんな出どころもわからんもんにフラフラしたらあかん!
幹部に指導受けなぁ!新聞読まなぁ!」と破折されました。
(臨場感を出すために大阪弁のママ)
本当に目からウロコでした。
私見ですが、怪文書と呼ばれるものは、
普段我々が欲している具体的な、祈り方、折伏の仕方等々
(幹部に指導を受けても答えは同じと指導を受けない「慢心」)であり、
簡単に心のスキに入り込み、「あっ、これや、これ、
これ(指導と思いこむ)を待ってたんや」
と自分の都合のよいところを安易に受け入れてしまうのだと思います。
昨日、帰宅してから、なおさまのことが気にかかり、
あのコメントで解っていただけただろうか?
もう少し違う言い方があったのではないか?
等々考えて、唱題しては先生の指導を読み返し、
床についても、なかなか寝つかれなくて、
何回もスタンドを灯しては御書を開き、
久しぶりに研鑽することができました。
なおさまの書き込みのおかげです。
イヤミでは有りませんので誤解のないように。
最後に、立正安国論に
「蒼蠅驥尾に附して万里を渡り
碧羅松頭に懸つて千尋を延ぶ」(御書P26)とあります、
どうかなおさま、何があっても組織にしがみついて学会の中で
大白蓮華P74の「広宣流布への心を合わせなければ、
祈りを叶えることはできない」との指針を胸に頑張って下さい。