ディープスロート

ニュースの眼 ウォーターゲート事件から33年 名乗り出た"情報源"に波紋

 ニクソン米大統領を辞任に追い込んだ歴史的スクープ「ウォーターゲート報道」---。
先月末、当時のFBI(連邦捜査局)副長官だったマーク・フェルト氏が、ワシントン・ポスト記者の取材協力者「ディープスロート」であると名乗り出た。
 米報道史上、最も有名な匿名情報源の登場は、当然、大きな波紋を呼んだ。「告発によって、国を救った英雄」「情報漏洩を恥じて、30年以上も黙っていたのだろう」といった賛否両論の意見をはじめ、公表の動機、事件当時の報道過程など、マスコミ各社はニュース・解説とも多様な角度から報じた。
 ただ、興味本位な報道の多かった点は否めないだろう。例えば、当時の政権スキャンダル報道が、国民の「知る権利」に応えたとしながらも、情報漏洩の妥当性や「知る権利」の上限という肝心な部分に関して、丁寧な論評は少なかった。
 共同通信社ワシントン特派員としてボーン賞を受賞した仲晃氏(桜美林大学名誉教授)は、この点について「日米とも『知る権利』を憲法上、明文化まではしていない以上、すべての情報がその対象となるわけではない。たとえ、マスコミが国家の重大情報を知り得たとしても、報道に際してはまず"国民の福祉"に資するかどうか、常に判断が求められる」と論じる。
 同時に「当時のワシントン・ポスト紙の報道が、開かれた政府を求める国民の期待に応えたのは確かだが、ディープスロートの存在のみで、政権が崩壊したわけではない。新聞に刺激された世論の盛り上がりと、これを受けての議会の攻勢があってこその顛末で、いわば、米民主主義全体の勝利である」とも指摘する。
 ウォーターゲート事件の調査報道によって、新聞は民主主義の担い手として"栄誉"と"称賛"を浴びたものの、その後は、度重なる捏造事件の影響もあって、信用を失墜させ、その栄光は色あせた感がある。フェルト氏による33年ぶりの「告白」を契機として、メディアは真実の究明という使命に敢然と挑んだ"往年の輝き"に思いをいたし、いま一度、初心に戻るべきではなかろうか。 (光沢昭義記者) 【聖教新聞 6月14日付け】