叱らなくてもできる

しつけ

 母親の、育児の悩みのトップは、今も昔も「しつけ」についてです。
 「いつごろから始めれば…」、「どうやってしつければ…」、悩みはつきません。最近、「しつけは家庭でなされるもの」と言われだしたこともあって、親はますます「しつけ」に対して神経質になっているようです。
 「しつけ」を単に「子どもを怒っていくこと」と考えるのは危険です。子どもに虐待を加える親が、よく「しつけのためにやった」と言うことがありますが、しつけを「怒ること」「叱ること」と勘違いしていると、そこまでエスカレートしてしまうことがあるので注意が必要です。
 私は「しつけ」をひと事で言うならば、「教えること」「伝えること」と思っています。
先日、バスの車内で3歳くらいの男の子がなかなか座らず通路に立っていると、そのお母さんは「もうっ何ウロウロしてるの」と言って、子どもの腕を引っ張って座席に座らせました。
 子どもを叱り、いかにもきちんとしつけている親であるかのように見えます。でも、これはしつけではありません。ただ文句を言っただけです。
 一方、そういうとき、「そこにいたら、みんなの邪魔になるよ。こっちへおいで」と、やさしく諭すように言う親もいます。短い言葉の中にも、子どもがすべきことをその理由とともに伝えており、私はこれこそがしつけ上手な親の姿だと思っています。
 しかし、世間はともすれば、そんなふうにやさしく言う親を甘い親と呼び、前者のように、とにかく子どもを怒る親をよしとする傾向があります。
 あの手塚治虫さん、そして俳優の愛川欣也さんは、かつてトーク番組の中で「私は母親に叱られたことは一度もない」とおっしゃっていました。それなのに、どうしてあのような良識あふれる素晴らしい人になったのかと言うと、おそらく叱られはしなかっけれど、するべきこと、してはいけないことは、きっとそのつどやさしく教えられていたのでしょう。
 私の経験から言えば、子どもは厳しく叱るよりも、やさしく普通に言ったときの方が、よほどよく言うことをきくように思います。さっきのバスの場合でも、結局、親の指示通りに動くのは、「何ウロウロしてるの」と怒られた子どもではなく、「みんなの邪魔になるよ、こっちへおいで」とやさしく言われた子どもです。
 子どもがしてしまう「叱られること」のほとんどは、故意ではなく、いわば過失からくるものです。生まれてまもないので経験と知識が絶対的に不足しているのです。だから今はまず教えてあげることです。暴カは必要ありません。いいしつけは、むしろ笑顔の中でこそ正しく行われることが多いものです。

【2月26日付 聖教新聞 子どもに笑顔を 16】
古い記事ですが、人材育成にも通じると思いアップしました。
尚、キンキンについては、良識あふれるかは疑問となりましたが(笑)