功名心で濁った野党

破邪顕正
今回の東京都議選は「国政の動向を決する」という半面、「争点がない」ともいう。
これは何を意味するか?
簡単だ。野党に権力ヘの""はあるが、現状打開の道を示す""がないということだ。
野党党首の第一声が「私たちに力をください」(民主党社民党)と
"クレクレ"絶叫型だったのがその象徴。
ともかく、こう不祥事続きでは都政・国政のビジョンを出す余力もないのだろう。
政治家は「道徳的感受性」(酒本雅之訳)をもて。こう訴えたのは哲人エマソンだ。
何が善か悪か。この感受性が鈍い政治家は
「思考は不毛となり、演説をしても総括ができなく」(同)なるという。
権力は魔物だ。よほど鋭い「道徳的感受性」がなければ、
議員バッジをつけた途端、たちまち悪人と化す。
各党の犯罪続発---学歴詐称・痴漢・傷害(民主党)、
セクハラ・暴行・盗撮(共産党)、詐欺(社民党)---など、
道徳音痴の因果応報ではないか?
だから、他党の実績を、名前を変えてこっそり公約に横取りするようなズルもする。
いわんや、道徳の根源たる「宗教」への態度など支離滅裂。
票をクレる教団には諂い、
そうでない宗教団体は"政治支配"などと誹り出す悩乱ぶりだ。
要するに、根底が道徳・宗教軽視だから政治的にも力が出ない。
思考は「不毛」、言動は「総括不能」になるのである。
仏典に「源 濁りぬれば流 浄からず」(みなもと にごりぬればながれ きよからず)と。
源が功名心に濁った者どうしが集まった政党では、丸ごとイカて当然だ。
仏法の慈悲という源に発した創価の大潮流は、こんな愚人らを蹴散らして進む。(吉井徹)