一念の力

明 鏡
「思考は人間の偉大を形づくる」---人間を"考える葦である"
と表現したパスカルの言葉だ(由木康訳)。
思えば人類の歴史は、有史以来、"考える"ことで発展してきた。
現代社会をつかさどるさまざまな制度も、科学や医学をはじめとする技術も、
多くの人々が積み重ねてきた思考の産物である。
今や、地球の未来さえ左右する存在となった人類。
しかし、そのただなかに生きる「一人の人」に焦点を当ててみるとどうだろう。
経験、知識、伝統……。自らの意志で何かに挑戦しようとしても、
これらが"カベ"となり、なかなか前に進めない。
とりわけ著しい情報社会を迎えた今日、"この状況下で、
自分がいくら思い立ったところで、何も変わらない"
という「無力感」「閉塞感」が広くはびこっている。

翻って、仏法では「瞬間の心」である「一念」にすべての現象がおさまっていると説く。
さらに日蓮大聖人は「わが一念に億劫にもわたる辛労を尽くして、
仏道に励んでいくなら、本来、自分の身にそなわっている仏の生命が、
瞬間瞬間に起こってくるのである」(御書P790、通解)と仰せである。
一念に深い労苦を尽くして他者のために尽くしていくなかで、
仏界の生命が涌現し、献身の行動にさらに励んでいく。
「一念の変革」が、自他ともの幸福と成長を促し、
その繰り返しが社会をも変革していく---。
日蓮仏法の真骨頂がここにあろう。

私たちが日々、読誦している自我偈に「毎自作是念」(毎に自ら是の念を作す)とある。
仏は、いつも衆生を成仏させることを願っている、と。
妙法のために、広布のために「毎自作是念」の戦いに挑戦し、
"私たち一人ひとりの一念が社会を変えていく"ことを実践のなかで体験し、
信心の確信を一段と深めていきたい。(村)