「関西魂」

 「雨中に“関西魂”貫く」。40年前(昭和41年)の9月、甲子園球場で行われた関西文化祭を報じた本紙の見出しである。この時に初めて、「関西魂」という言葉が紙上で使われた。
▼雨に打たれ、泥にまみれながら、迫真の演技をする4万人もの青年。試練を前進の力にする「負けじ魂」が、最悪の条件すら感動的な演出に変えた。そして文化祭はテレビで全国放送され、列島を感動の渦で包んだ。
▼2000人に及ぶ来賓も皆、驚嘆した。「この若者たちは、何かをやろうとする情熱がある。それは功利を超越したものであり、わが国の将来は絶対に明るいと確信した」。
▼波動は国内にとどまらない。後年、中国の周恩来総理の側近らが文化祭の映像を通し、学会理解を深めた。まだ学会がよく知られていない当時である。総理と池田名誉会長の会見の通訳を務めた林麗ウン(韋に囚に皿)女史は、「創価学会が大衆を基盤とした団体であることを実感しました。中日友好への大切な団体であると深く認識したのです」と。
▼躍動する青年の姿ほど学会を雄弁に語るものはない。「関西魂」こそ学会の真骨頂である。いかなる社会も国も、未来は青年の手の中にある。青年は青年の触発で成長する。その連帯の構築に、われらは挑戦する。(芯)