楽観的生き方のすすめ

 二種類の人がいる。
 例えば、職場や学佼で、友人を昼食に誘ったら、断られた。
 そんな時、あなたなら、どう考えるだろうか?
「あの人は、私が好きじゃないんだ」とか「私に魅力がないからだ」と考える人もいる。
「私と話しても楽しくないから……」
 そう考えると、ほかの嫌なことまで思い出し、だんだん自分がつまらない人間に思えてきて、落ち込んだ気分が続く。
 一方、断られても「あの人は、きょうは都合が悪かったんでしょう。また誘えばいい」と考える人もいる。
 前の考え方は「悲観的」であり、後の考え方は「楽観的」である。
 例えば、夫に「子どもたちをお風呂に入れて、寝かしつけておいてね」と頼んで出かけた。それなのに、帰ってみると、みんなでテレビにかじりついている
「まったく、私の言うことなんか、いつも無視するんだからどうして、こんな簡単な頼みさえ聞いてくれないの?子どもに『早く寝なさい』と、どなるのは、いつも私の役目?私だけが、いつも悪役?」
 怒りのあまり、ものも言わずに、テレビを消し、子どもたちをベッドに追い立てる。気まずい空気が続いた後、めいった気分で、くよくよと考え込む。
「ああ、嫌な私」「でも主人がもっと理解があれば」「私を大事に思ってないから、こうなんだ」「この結婚は失敗だったのかもしれない……」。憂うつは雪だるま式に大きくなる。
 一方、「あらあら、きょうはどうしたの?そんなに面白い番組なの?どれどれ……。でも、そろそろおしまいの時間よ」。
”きっと夫も、きょうは、子どもとくつろぎたい気分だったんだわ”と、自分に言い聞かせて、怒りをおさえ、気分を切り替えられる人もいる。
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 アメリカ心理学会のマーチン・セリグマン元会長によると、悲観的な考え方の特徴は、三つある。
(1)一時的なことなのに、「いつも、そうだ」「ずっと、こうなんだ」と「永続的」に見てしまう(永続化)。
 例えば上司に、がみがみ言われた。「あの上司は、まったく、嫌なやつだ」と考える。そう思い込むと、上司の嫌な点ばかりが目についてくる。
 がみがみ言われたという”一時的事実”なのに、「いつも、そういう人間なんだ」と”何をしても変わらない”ように思い込む。
 一方、楽観的な人は「きょうは、上司は機嫌が悪いな。何かあったんだろう」と考える。「きょうのこと」に限定し、話を広げない。
(2)悲観的な人は、一つのことがうまくいかないと、すべてだめだと思ってしまう(普遍化)。
 例えば、数学が苦手なだけで、「自分は勉強がだめだ」と思う。
 例えば、一つの失敗を叱られると、「自分はダメな人間なんだ」「もう見込みはないんだ」と落ち込む。
「叱られた点を直せばいいんだ」と思わないで、白分の全部を否定されたみたいに思う。小さな黒点を、心の中で黒雲のように広げてしまう。そうなると、ますます失敗してしまう。悪循環である。
 例えば、恋人に去られる。つらい。そのあまり、「もう男性なんか、だれも信じない」とか「私は、だれからも愛されないんだ」と思い込んでしまう。
 ありのままの事実は「あの人と私はうまくいかなかった」だけなのだが、そうは考えない。すっかり自信をなくし、うつうつと苦しみを引きずって、輝きをなくしてしまう。
 その上、女性には「自分への否定的な語りかけ」を繰り返し反芻する人が多いようだ。
(3)悲観的な人は、悪いことが起こると、自分のせいかと思い、良いことは、他人の力か、たまたまそうなったと思いがちである。
 例えば、スポーツの試合で負けた時、楽観的な選手やチームは「こういう日もあるさ」「相手の調子が良すぎたね」と言う。自分たちのせいではないと考える。
 ところが悲観的な選手やチームは、負けると「集中力がなくなってしまっている」とか「自分でチャンスをつぶしてしまった」などと説明する。
 同じ能力なら、「楽観度」か高いほうが勝利を招くそうである。
 もちろん、楽観主義のあまり、何でも人のせいにしたり、現実を見なくなってはいけないが、自分を責めても何もならないところで「自分をいじめる」のが悲観主義の欠点なのである。
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 これらは、セリグマン博士の著書『楽観主義を学ぶ』(邦題『オプティミストはなぜ成功するか」山村宜子訳、講談社文庫)などを参照して、私なりにまとめてみたものだが、実に興味深い。具体的であり、生きた「人間学」がある。
 1997年、セリグマン博士が来日された機会に、私は博士に共感を伝えた。
 博士はうなずき、大きな体をこちらへ乗り出し、「楽観主義とは「希望』のことです。何も苦しみがないのが楽観主義なのではありません。いつも楽しくて、満ち足りていて……そうではなく、いつ、どこで、失敗したり、苦しい経験をしても、それは『行動』によって必ず変えられる---そう信じる「信念』が楽観主義なのです」と語った。
 博士の声は、まろやかな低音である。
 博士によると、楽観主義の人のほうが、仕事や人間関係でも成功するし、健康にもよく、長生きするそうである。特に四十代後半からは、考え方が健康に及ぼす影響力が大きくなる。
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「楽観的な考え方」を練習し、「楽観的な言葉」を心に刻みつけ、心に彫り込むんでいくべきであろう。楽観する「技術」は、いったん、コツを身につけたら、一生忘れない。自転車や水泳のように。
 私は、仏法は最高の「希望の心理学」であり「希望の生命学」であると信じている。
 「仏」とは、心の不可思議な力を知りつくした人のことである。
 人間は「心」次第で、どのようにでも変わっていける。それどころか、法華経の「一念三千」の哲学は、一人の「心」の変革が、社会も、国土も変えていけると高らかに宣言している。いわんや自分の人生くらい、自分が決めた通りに、自在に変えていける。何一つ、あきらめなくていいのである。
 だから、「どうせ」という言葉を捨てよう。「無理だ」という言葉も捨てよう。
 今、どんな状況にあろうとも、こう自分に言い聞かせて生きていくべきだ。
「自分は、最後に勝つに決まっている」と。
「自分の今の家族こそ、最高の家族なんだ」と。
「自分はすでに、世界でいちばん幸福な人間なんだ」と。

幸福抄 P172】