「立正安国論」提出の日

 きょう、「立正安国論」提出の日
 指導者こそ仏法精神の体現を

 7月16日は、日蓮大聖人が「立正安国論」を提出された日である。文応元年(1260年)のきょう、実質的な最高権力者・北条時頼に届け、宗教革命の本格的な闘争を開始された。
 立正安国とは、“正”を立て“国”を安んずる――正法の力で社会の平和と繁栄を目指す大闘争である。
 大聖人御在世当時の日本には、それと正反対の風潮が広がっていた。安国論には、「善言を聞いて悪言と思い謗者を指して聖人と謂い正師を疑って悪侶に擬す」(御書P24)とある。
 こうした転倒の世で、大聖人が時頼という最高権力者に直言された意義は大きい。指導者層が歪んだ信仰観・生命観を正せば、時代は大きく変わるからだ。
 "転倒の世"を正す先駆け
 わが国では「正義」という指標が、ややもすると曖昧にされてきた。今日も、政治家や官僚のみか、教育者や警察官までが犯罪に走るケースが絶えない。
 これでは、青少年の教育をはじめ世相がよくなるわけがない。リーダーが正義に目覚める「指導者革命」こそ、日本を救う急所であろう。大聖人の法戦は歴史上、その先駆けであられたのだ。
 安国論の冒頭、大聖人は打ち続く災難を嘆く客に対し「私も一人でこのことを憂い、胸の奥に言うべきことが噴き上がる思いでいた」(同P17、通解)と。
 民衆に同苦し、社会を平安に、との、やむにやまれぬ心。この心を現代に継承し、三類の強敵と戦いながら世界に正義を広げてきたのが、池田名誉会長と学会の同志だ。立正安国の大精神は、学会にのみ厳然と受け継がれている。
 したがって、私たちが進める公明支援の活動も当然、仏法の慈悲の精神の発露でなくてはならない。
 正義の大確信で対話の夏を
 「政治には『道徳性』が必要であり、そのために宗教の果たすべき役割は大きい」「学会は、政治の倫理性を高めています。私は、他の団体も、同じ道に続いていってほしいと願っている」(インドネシアのワヒド元大統領)など、世界の識者も心から讃嘆してやまない。
 ロシアの哲人シェストフは「正しさだけは、人間にとって必要なものである。正しさを、人間は、誰にも絶対に手渡さないであろう」(植野修司訳)と言う。正義とは、人間性の根幹なのだ。
 さあ対話の夏 我らは正義の大確信に胸を張り、立正安国の仏法を友人に堂々と語り広げていこうではないか。

 【7月16日付 聖教新聞 社説より】