「第四の権力」?


ジャーナリズム崩壊 (幻冬舎新書)

ジャーナリズム崩壊 (幻冬舎新書)

裏表紙
 日本の新聞・テレビ記者たちが世界中で笑われている。
 その象徴が日本にしかない「記者クラブ」制度だ、メモを互いに見せ合い同じカンニング記事を書く「メモ合わせ」、担当政治家が出世すれば自分も出世する歪んだ構造、権力におもねり掴んだ事実を報道しない体質。
 もはや新聞・テレビは権力をチェックする立場と国民に知らせる義務を放棄したも同然である。
 恐いもの知らずのジャーナリストがエリート意識にこりかたまった大マスコミの真実を明かす亡国のメディア論。 

表:新聞・テレビ記者のあきれた実態(権力と癒着し、官僚より官僚的)
裏:永田町、霞ヶ関、マスコミから「史上最低のジャーナリスト」と唾棄される著者が、またもや暴いた

↓中身をちょっと紹介いたします。

第一節 空想でしかない「客観報道」

ジャーナリズムとワイヤーサービス
 日本にジャーナリズムはあるのだろうか。筆者がこの問いにひとつの回答を出したのは、ニューヨーク・タイムズで働き始めてすぐのことである。
 結論から先にいえば、「日本に『ジャーナリズム』はある。ただしそれは日本独自のものであり、海外から見ればジャーナリズムとはいえない」ということになる。
 はっきりとそう認識したのはタイムズに入った1999年。それ以降、筆者はさまざまな媒体でその理由を執筆し、あるいは機会を見つけては発言を繰り返してきた。
 ―― 略 ――
 だが、そうした発言や記事の大半は、極論として片付けられてきたように思う。
 それも無理はない。おそらく日本国内で日本の報道だけに接してきた者ならば、誰しもがそう思うだろう。実際、筆者もニューヨーク・タイムズに入るまではそう思っていたうちのひとりだ。
 再び結論を先に述べれば、日本でいうジャーナリズム精神とは、海外でのワイヤーサービスメンタリティに相当する。ワイヤーサービスとは、日本でいうと共同通信時事通信のような通信社のことを指し、速報性をその最優先業務とするメディアのことだ。
 いわゆる海外でのジャーナリズムとそれとは一線を画す。単に、時事的な事象を報じるだけではなく、さらにもう一歩進んで解説や批評を加える活動を一般的にジャーナリズムと呼んでいる。
 とくにその役割をぎりぎりにまで絞った場合は、公権力に対する監視役としての仕事が期待される。つまり「第四の権力」とも別称される通り、三権一立法、行政、司法)に対する監視こそがジャーナリズムの役割ともいえる。……

 本日、午前中宝城会(本来は先週任務だったが交代)任務、昼食を済ませて事務所へ
 『ジャーナリズム崩壊』は、この前紹介した『「愛」なき国』と一緒にAmazonに注文していて本日届いていた。
 『ジャーナリズム崩壊』の方が薄くて読みやすそうだったので、先に読み始めたが面白くて仕事も忘れて一気に読んでしまった。
 ダイヤモンド社の「ダイヤモンド・オンライン」に関連の面白い記事があります。そちらもご覧下さい。
 上杉隆インタビュー『ジャーナリズム崩壊』はすでに始まっている。
 さあ読書はしばらくおいといて明日から真剣に受験勉強するゾっと
 ほんまかいな?寒苦鳥に陥っています。 独り言


 「雪山の寒苦鳥は寒苦にせめられて夜明なば栖つくらんと鳴くといへども日出でぬれば朝日のあたたかなるに眠り忘れて又栖をつくらずして一生虚く鳴くことをう」
 (御書P1440 新池御書)