2009.07巻頭言

「心」を結べ「声」で勝て



僕の声
 あなたの声も
     宇宙まで
   轟き響かむ
      生命は光りて


 釈尊は「自分から先に話しかける人」であった。
 偉ぶって、人に挨拶させるのではない。自らが明るく爽やかに声をかけて、相手の心を開いていく。いささかも権威ぶらない。この人間性そのものの振る舞いに、生きた仏法の出発がある。
 釈尊は「和合を喜び、和合をもたらす言葉を語る人」であった。
その声は、降り注ぐ銀河の光のように、万人の心へ希望を届けたと経典は伝える。それは、人々を蘇らせ、心を結び合う声である。
この崇高な仏の声は消えていない。今日も尊き汗を流しながら、勇んで対話を進めゆく、わが誉れの友に受け継がれているからだ。
 「大確信で語りに語れ 仏の力がこもった声は必ず道を開く」「百回語れば、百倍の功徳となって返ってくる。これが『声仏事を為す』ということだよ」とは、師・戸田城聖先生の御指導であった。


勇敢に
 この世のすべてを
     乗り越えて
  堂々 笑顔で
      万歳 叫べや


 7月は、日蓮大聖人が「立正安国論」を掲げられて、平和と正義の大闘争を宣言なされた月である。(文応元年=1260年)
 蓮祖に直結する創価の三代の師弟は、いずれも、この「立正安国」の月・7月に、権力の魔性に投獄され、誉れの受難を刻んだ。
 「立正安国論」では、主人と客人が「屡談話を致さん」(P17)と対話を開始し、乱れた社会への憂慮を共有しながら、語らいを続ける。破折された客人が顔色を変えて怒ることがあっても、主人は笑みを湛えて包み込みながら、正論を語り切っていく。そして最後は、客人による「立正安国」の行動への誓願で結ばれるのである。
 仏は対話に臨んで逡巡しない。遠慮もしない。それは、誰人にも仏性が具わる故に「変わらぬ人間などいない」と見通しているからだ。いかなる違いや葛藤があっても、相手の仏の生命を呼び覚まし、広宣流布の味方に変えていける。これが折伏の真髄だ。


あな嬉し
  勝利 勝利で
    勝ちまくる
   師子の雄叫び
       君もかくあれ


 「言葉は真実を述べるため、人々の苦しみを癒やすために授けられたものである。ゆえに、不正や誤りや不幸を前に沈黙してはならない」と、スペインの女性の人権の闘士アレナルは語った。
 歴史を綴けば、どれほど正しい信念の士が陥れられてきたことか。どれほど多くの健気な母たちが沈黙を強いられてきたことか。
その嘆きの流転を大転換したのが、昭和32年7月の「大阪事件」である。凶暴な牙を剥いて襲いかかってきた権力の弾圧にも、恫喝にも、広宣の師弟は師子王の如く微動だにしなかった。
7月12日の東京大会でも、7月17日の大阪大会でも、わが同志は、何ものも恐れずに、師と共に正義を叫び切ったのだ。
 「日蓮が平左衛門の尉がもとにて・うちふるまい・いゐしがごとく・すこしも・をづる心なかれ」(P1084)とは、東京の先達である池上兄弟への御聖訓である。その通りに、創価の陣列は立ち上がったのだ。
 関西の母は絶叫した。「断じて負けたらあかん 学会は断固として勝ち進んでいくことです。それが、本当の創価です
 誰に対しても臆さずに真実を訴える。悩める友を真心から励ます。この同志の声ほど、尊く強く、妙なる生命の名曲があろうか。
 仏法の師子吼には、「無明に眠る者を目覚めさせる」「恐れを取り除く」「眷属の威光勢力を増す」「堕落を戒める」「子どもたちに教え説く」「偽者を打ち破る」など重々の意義がある。一人一人に声をかけ続けてきた波動は、今や地域から世界へ広がった。
 「世界に『恐怖を与える』動きもある。だからこそ世界に『希望を贈る』ことが必要です。それをされているのが、創価の師弟です。『希望』は『対話』から生まれるからです」。こう語ってくださったのは、ブラジル・サンパウロ美術館のマガリャンエス元館長である。
 青年勝利の7月だ。信念と希望と決意の声を響かせ、前進だ


大天地
  創価スクラム
   一段と
  深く結びて
    全てに勝ちゆけ