常勝の歌轟かせ、関西が完勝へ先駆

手記 関西婦人部長 山下以知子

 関西同志の皆さん
 暑い中、毎日の激闘、本当にありがとうございます。
 6月12日付の随筆で、池田先生は「尊き"常勝の母たち"が厳然としている限り、創価の民衆城は盤石」と、婦人部をたたえてくださいました。
 先生はその随筆の中で、昭和54年7月15日の第1回「関西記念合唱祭」の模様に触れられました。会長辞任直後、反逆の輩や邪宗門の圧力で、自由に動けなかった先生。 「なんで『先生』って呼んだらあかんのや」「それなら、皆で先生が作られた歌を歌おう」と企画し、開催されたものでした。
 大阪女子部長だった私は、合唱祭の約1カ月前、先生からお歌を頂きました。"関西の魂を青年部に託す"との熱き思いに、命が震えました。
 「その日、大関西の共戦の友は、これでもか、また、これでもかと、"師弟の大音声"を轟かせ、弟子の誓いを新たにした」と綴ってくださった通りの、常勝の関西魂が燃え上がる合唱祭となりました。
 当日、奥様が先生のご名代として出席くださった姿は、今も胸に焼き付いています。
 さらに奥様は、2日後の「7・17」に、「大阪事件」の最中、先生の無事を祈り、戦い抜いた婦人の功労者宅を訪問、激励してくださったのです。
 随筆には、「妻から逐一報告を聞き、私は確信した。関西は健在なり、関西の母たちは意気軒昂なり」と綴られています。
 "みんなが元気であれば、私も元気です。学会も元気です" ―― かつて先生は、関西の友へ、このような伝言をくださったことがあります。先生、奥様が、どれほど関西を大切にしてくださっているか。
 しかし、合唱祭を伝える記事には、先生のことが一行も出ませんでした。その屈辱を、私は絶対に忘れません。
 必ずや仇を討ち、師の正義を満天下に示してまいります。
 常勝が天命の関西婦人部は、いかなる劣勢をもはね返し、勝ち越える ― その決意で、断じて、完勝の結果で先生にお応えしてまいります。
 【7月10日付 聖教新聞 関西版】

 7月は関西の月、「7・3」「7・17」そして、昨日「7・9」は、53年前、先生が築かれた関西常勝原点の日「"まさか"実現」大阪大勝利の日である。
 座談会で、「今再びの 陣列に 君と我とは 久遠より 誓いの友と 春の曲 愛する関西 勇み立て」と、『常勝の空』を歌い、「師弟勝利のドラマを」「自身の黄金の金字塔を」と、決意し合った。