2009.12巻頭言

「冬は必ず春となる」


 寒風も
  堂々 勝ちゆけ
     英雄の
   君の使命を
     今日も忘れず

 北国、雪国の友の苦労が偲ばれる季節である。北海道や東北、信越、北陸はじめ、厳寒に胸張る各地の同志の顔が瞼に浮かぶ。
 御聖訓に「北国の習なれば冬は殊に風はげしく雪ふかし」(御書P1052)と仰せの通り、冬は試練の時だ。なかんずく尊き無冠の友の皆様は、毎朝、寒風を突いて、広布の機関紙誌を配達してくださっている。御健康と絶対無事故を、私も妻も強く祈らずにはいられない。
 私たちの地球は、23.4度の自転軸の傾きをもって、太陽の周りを公転する。そこに春夏秋冬が織り成される。四季は大宇宙の妙なるリズムだ。人生にも社会にも「冬」の時代がある。
 英国の桂冠詩人テニソンは、善の勝利をおごそかに謳った。
 「私はただ信ずるのみ。最後には遙か彼方で、遂には善がすべての上に降り注ぐことを。そして冬は必ず春に変わることを」

 妙法は
  不幸を断ち切る
      利剣なば
     不敵の心で
       楽しく生き抜け

 日蓮大聖人は、人類史を画する幸福宣言を留めてくださった。
 「法華経を信ずる人は冬のごとし冬は必ず春となる、いまだ昔よりきかず・みず冬の秋とかへれる事を、いまだきかず法華経を信ずる人の凡夫となる事を」(御書P1253)
 この御金言は、夫に先立たれ、頼れる支えもなく、病の子らを抱えて奮闘する母・妙一尼に贈られた御返事の一節である。
 正義の夫は、師と仰ぐ大聖人が流罪され、「諸天善神は何をしているのだ」と憤激したまま、赦免の日も見ずに亡くなった。夫妻は正しき信仰ゆえ、所領まで没収された。どれほど悔しく、どれほど苦しい冬の日々が続いたことか。その中にあっても、健気な母は大信力を奮い起こして、師弟の道を歩み通していた。
 御本仏は、この母に「冬は必ず春となる」と仰せになられた。家族みな仏となり、無上の歓喜の春が絶対に来るとのお約束である。

 三障と
  四魔の嵐を
   乗り越えて
  晴ればれ勝利の
       笑顔嬉しや

 冬から春へ――。これは、何ものも遮ることのできない、宇宙の運行の法則である。妙法に生き抜くならば、いかに辛い宿命の冬も、希望の春へ断じて変えることができる。必然の法理なのだ。
 大聖人の御一代それ自体が、これ以上ないという極限の迫害をも勝ち越えられた「冬は必ず春となる」の大証明であられる。
 創立の父・牧口先生は、信心の実証は「百発百中の法則」と断言された。誰人たりとも絶対に幸福になれる、と叫び抜かれたのだ。
 わが師・戸田先生は、最も得をしたのは、牧口先生にお供した法難の獄中の二年間であったと語られた。その大境涯から、恩師は、どんな苦悩に直面した友も力強く励ましていかれた。
 「負けるものかと、デンと肚をすえて頑張るのだ。信心があれば、ことごとく功徳に変わる。福運はいくらでも出てくる。最後に勝てば、あらゆる労苦は良き思い出に変わるのだ」と。
 私も、恩師の事業が破綻した最悪の冬の時代に、一人立った。冬を必ず春としてみせると誓い祈り、走り戦い、そして勝った。
 学会教学の真髄は何か。それは、「冬は必ず春となる」との一節を、師と共に、わが生命で拝し、勝利の実証を打ち立てることだ。
 今この希望の大哲学は、世界192カ国・地域に広がり、功徳の体験は万朶と花開いている。体験こそ学会の命だ。大座談会運動は、一人一人が体験を深め、確信の声で語りゆく大波である。
 インドの知性ラダクリシュナン博士は讃えてくださった。
 「戦いなくして成長はない。厳しい逆境があって初めて最高の力を出すことができる。勇気ある人々は、前進を止めない。創価の師弟の人生は、このことを余すところなく語っています」
 春の光の如く、創価の太陽は人類の生命を蘇生させ始めた。創立八十周年へ、張り切って勝利の大光を鮮烈に放ちゆこうではないか

 恐れずに
  また朗らかに
     勝ち戦
    三世の功徳を
     積みゆく誉れと

 目標の200万遍の唱題も23日にクリアいたしました。呪文のように「モゴモゴ」唱えている時もあり、ただ、数だけの題目になっている時が多々あります。(汗)反省
 我が地域も大きな人事がありましたが、頭の上を素通りしていきました。
 この変化の時に「やらんかな」の息吹に燃えて他が出陣する中、改めて私自身「80周年」を長として戦える福運に、決意をしないでは申し訳ないと、昨日、先生に決意のお手紙をお出しいたしました。 「さぁっ戦うぞ