陰徳なくして陽報なし

 心に残る友との出会いが続いた。豪雪地に住む多宝会の夫妻は、無冠の友(本紙配達員)が転倒しないよう、夜明け前に玄関の雪をかき、凍結した氷をかち割るのが日課だと語った。

▼山あいの支部の壮年有志は、毎朝、無冠の友の配達時間に合わせ、自宅で無事故を祈る唱題に励んでいるという。さらに、90代の婦人部員。民生委員を務める嫁を支え続けたことは地域福祉を支えたことでもあるとして、関係機関から感謝状を贈られた。
▼こうした人々に共通するのは、「陰の人を支える、さらに陰の人」という存在感。スポットライトのあたる華々しい活躍の人ではなく、サーチライトなくしては出会えない友ということだ。
▼光があって影が生ずる。それが一般的かもしれないが、仏法では「陰徳あれば陽報あり」と説く。陰徳なくして陽報は、ありえない。
灯台の照射灯を見る機会があった。「安心を届けたい」と、光源を磨き続けた灯台守の“陰の労苦”があってこそ、大海原を行く船舶は守られてきたのだと思った。
▼信心を根本に“信念の陰徳”を積みゆく学会員は、太陽の仏法である信心の輝きを、あますところなく友や地域社会に届け、未来を照らしている。まさに、偉大な陽報をもたらす光輝な存在なのだ。(城)

【1月28日付 聖教新聞 名字の言より】