2010.10巻頭言

創価の会合は「仏の会座」なり

 今世にて
   人華の薫る
       無上道
    楽しく歩めや
         幸の仲間と

 人は、人によって磨かれ、人の中で成長する。イタリアの思想家マッツィーニは、「人間の絆を強め、幅広い人々との連帯を広げることは、私たち一人一人の力を何倍にも強める道」と語った。現代社会の重苦しい閉塞を突き破る希望も、人間の結合にあるといってよい。
 殉教の先師・牧口常三郎先生は、民衆が心を通わせて、無限に幸福を開く宝の鍵を残してくださった。
 それが「座談会」である。
 座談会があればこそ、私たちは仏法に巡りあうことができた。
 座談会があればこそ、皆で励まし合い、悩みを乗り越えられる。
 座談会があればこそ、わが地域に歓喜と安穏のオアシスを築き、月月・日日にたゆまぬリズムで無量の価値を創造していけるのだ。
 座談会を中心とする創価の会合は、法華経に完璧に則り、御書に寸分違わぬ「仏の会座」である。
 これほど尊極の集いはない。
 法華経の随喜功徳品に説かれる通り、妙法の会合へ「共に行こう」と誘う功徳も、「一人の友を連れて来る」功徳も、「来た人を温かく迎えて座を分かち合う」功徳も、いずれも絶大だ。
 会場を提供してくださる御家庭の大福運も、厳然と経文に記されている。
 日蓮大聖人は、「一生 空しく過して万歳 侮ゆること勿れ」(御書P970) と門下の中心者に烈々たる御手紙を送られた。その末尾には、こう書き添えておられる。「志有らん諸人は一処に聚集して御聴聞 有るべきか」(御書P970)
 一人で拝読するだけではない。
 よし! 同志と「一処」に集まろうと、勇んで行動を起こせば、その潔き「志」によって、決然と魔を打ち破れる。そして師匠の指導を学び合い、共々に広宣流布誓願へ「師子王の心」を取り出していくのだ。
 行く前は気が進まなくとも、会合へ参加すれば、清々しい境涯が開ける。会合には、幸福と勝利へ妙なる"磁力"が生じている。
 わが師・戸田城聖先生は、一回一回の会合に真剣勝負であった。
 「『当に仏を敬うが如く』と仰せではないか。一人のために! 一人一人と共に! この原点を忘るるな。いかなる虚栄も、心の垣根もない、この世で一番楽しい充実と和楽の会合にしていくのだ」と。
 なかんずく、恩師が大事にされたのは、友の体験発表である。体験には、障魔に打ち勝った信心の勢いがある。生命力の息吹がある。ゆえに、皆の心を勇気づけてやまぬ、真実の触発力が脈打っているからだ。
 御聖訓には「現在に眼前の証拠あらんずる人・此の経を説かん時は信ずる人もありやせん」(御書P1045)と。
 私も、わが人間革命の実証を青年らしく語り抜いて、拡大の波を起こしてきた。前進前進の文京支部の座談会で、一度に五十人近い方々が入会を希望されたことも懐かしい。
 アメリカを代表する仏教研究家ストランド氏は洞察しておられる。
 「体験の共有は信仰を深め、信仰は人生を深める。そうして深められた人生が、やがて社会を変革していく」「創価学会が座談会を活動の基軸とする限り、信仰の息吹は新鮮さを失わないだろう」と。
 アフリカのコートジボワールでも、国土の平和と繁栄を祈りつつ、各地で新来の友を迎え、毎月、約九百回の座談会が活発だ。青年の拡大が目覚ましい。
 さあ、新たな人材の躍進だ!
 恩師の師子吼が蘇る。「大勢の会合も、少人数の会合も、大切にしていくことだ。この会合に集った人から、すべてが始まる。この会合から勝ち開いていくのだ」と。

 晴ればれと
  勝利と歓喜
     肩組みて
   創価の広布は
      仏勅なるかな

 忙中閑有り  (^^)v