心身を癒す「笑い」

希望の笑顔で"対話の花"を
 アメリカのジャーナリストで思想家のノーマン・カズンス氏が、「笑い」のもつ力によって、膠原病という難病を完治させた話は有名だ。氏の著書『笑いと治癒力』(松田銑訳)には、「十分間腹をかかえて笑うと、少なくとも二時間は痛みを感ぜずに眠れるという効き目があった」とある。
 近年、「笑い」のもつ健康面での効果が注目されている。笑うことで、免疫カが正しく働くようになるとの実験結果がある。他にも、ストレス・ホルモンを低下させる、脳内の血流量を多くして脳血管障害の改善や認知症防止に役立つ、糖尿病の血糖値の上昇を抑制する、との実験結果もある。笑いは、心身両面にプラスに働くのである。

 古来、キリスト教では、聖書に「イエスが笑った」という記述がないことから、「イエスは笑わなかった」という意見が多数を占めてきた。考えられないことだが、修道院の規則では「笑い」を禁じていたという。
 なぜか。「笑い」は、宗教的戒律など現実の規則に縛られた人間の精神を解放する力をもっているからである。
 社会学者のピーター・L・バーガーは「滑稽なものは、ひとつの分離された世界を出現させる」「ひとを日常生活の外部へ連れだす」(『癒しとしての笑い』森下伸也訳)と指摘する。
 心から笑う時、人は既成の秩序のしがらみを忘れる。ゆえに、権威の聖職者は、笑いを禁じて、民衆の心を宗教的に呪縛しておきたかったのだ。
 しかし、そうした中世の教会支配は、14世紀イタリアで始まるルネサンス、そして16世紀の宗教改革によって力を失っていった。

 現代に、中世の「暗黒時代」が復活したような宗教団体がある。言うまでもなく、日顕宗である。
 日顕宗には、僧侶と信徒の間に明確な差別がある。
たとえば、日顕が境内を練り歩く時、信徒は土下座して顔を上げてはならない。そんな光景が、テレビでも放映されたことがある。これを「伏せ拝」というらしい。江戸時代の大名行列ではあるまいし、これほどの時代錯誤、あからさまな人権無視は、今日、そうは見つかるまい。
 こうした体質の元凶は、とりわけ日顕の性格にある。日顕は、公の場において、若い所化を殴ったり、相手かまわず怒鳴り散らす"瞬間湯沸かし器"として知られる。
 笑いといえば、芸者遊び・遊蕩三昧の折に見せる、下卑たニヤケ顔ばかりである。さわやかな笑いゼロの日顕宗は、健康にもいたって悪い。

 それに引き換え、創価の世界には、明るい笑いが満ちあふれている。
 池田名誉会長のスピーチには、心を癒すユーモアが躍動している。海外の賓客を迎える際も、名誉会長はいつも変わらず非常に人間的である。
 癒しをもたらす笑いは"世界に対する根源的な信頼"を回復させる、とバーガーは言う。
 人間への不信と明日への不安が渦巻く現代社会にあって、創価の民衆運動は、世界の人々に「安心」「信頼」「勇気」を大きく育んでいる。そこには、世界を変える力がある。
 すてきな笑顔の人の周りには、不思議と同じような笑顔の人が集まり、笑いの花園が生まれる。希望のほほ笑みをたたえ、和やかな"対話の花"を地域に、世界に咲かせていきたい。
(文芸部 西村伸一)【7月6日付け 創価新報 時代の眼より】