「信仰の光」の大勝利!

 創価学会の懸命な支援によって、公明党東京都議選で全員当選の快挙を果たした。
 この大勢力の功績を、日本のマスコミ等は、2大政党の掛け声で掻き消そうとしている向きがあるが、それはなぜか?
 簡単である。それは学会・公明勢力が、彼らの理解を超えた精神性をべースにしているからだ。自分のわからないものを無視するのは、エセ知識人の倣いであるからだ。そして、これがエセエセたるゆえんだ。
 「信仰の光が暗くなるにしたがって、人々の視野は狭くなる」---民主主義社会の将来を案じ、こう警告したのは政治学者のトクヴィルである。
 「不信仰の時代」の悪弊は、「人々が自分たちの日常的な願望を、絶えず行き当りばったりに求め」「偉大なもの平和的なもの永続的なものを全くつくりだそうとしないということである」(井伊玄太郎訳)
 行き当たりばったり。無責任な浮動票ごときに翻弄される日本の民主主義の体質を、ズバリと突いているではないか。
 実際、近年の日本は、政策も実績もない扇動家の口車に踊っては、議員の不祥事などで失望させられる繰り返しだ。
 「不幸なめぐりあわせによって、無宗教と民主主義とが出くわしている国」(同)
 犯罪の多発や青少年の荒廃なども含めて、都市社会の病根は宗教性の蔑視にある。
 自分は何も行動しないくせに「信仰」を笑い「対話」を嫌い、何か裏があるんでしょ?と誹る猜疑家。そのくせマスコミには、ふらふら釣られる軽信家。
 こんな都会人たちの度肝を抜いた、「信仰の光」の大勝利創価の民衆こそ、偉大なる民主主義の創造者だ。(木村隆志)