平和の地図

 茨城県つくば市国土地理院伊能忠敬による「伊能図」の複製を見たことがある。
▼忠敬が全国を実測して描いた「大日本沿海輿地全図」は、没後の1821年に完成。幕末、日本沿岸を測量しようとしたイギリス人も、すでに正確な伊能図があることを知り、その写しを入手して測量を中止したといわれる。
▼幕府に提出された全図の正本は、明治6年の皇居の火災で焼失した。また、伊能家旧蔵の副本も、東京大学で保管中、関東大震災で灰となった。
▼現存するものの多くは、原図などからの写本。海外からも発見されるなど、その正確さが認められ、数多くの写しが作られたことがわかる。忠敬が後半生のすべてを賭け、実に四千万歩ともいわれる距離を歩いて作り上げた“魂の作品”だからこそ残ったといえよう。
▼この忠敬の偉業に触れて、池田名誉会長は語る。広宣流布も行動で決まる。自ら動いた分だけ、歩いた分だけ、語った分だけ、わが地域の“平和の地図”は拡大する」
▼忠敬の故地・佐原を先日、取材で訪れた。田植えを終えた水田が見渡す限り広がっていた。我らが広げる“平和の地図”も、その果てなき地平へ、使命に燃えて歩み続けてこそ、万代に残る。広布への決意を新たにした。(佳)