木を紫色に塗った小学生

 写生の時間、木を紫色に塗った小学生がいた。普通は黒か茶。「1番好きな木だから1番好きな色を木にあげた」と言う子に、代理教員はこっそり紙製の金メダルを与えた。「いい成績はあげられないけど先生はこの絵を素晴らしいと思う」との言葉を添えて。
▼ある歌手のラジオ番組に、代理教員がこの思い出を投稿した。偶然放送を聞いた生徒から教員に届いた手紙には、紙のメダルを首に下げた青年の写真が同封されていた。美大に進学し今は画家の卵。メダルを壁に飾り励みにしてきたそうだ。(さだまさし『本気で言いたいことがある』)
▼若いころは子供たちの成長を「待つ」ことができず、放っておいても出てくる芽を踏みつぶしてしまった。「いまは子供を信じて、じっと待つことが出来るようになりました」。老練教師の述懐を随筆集『命の器』で紹介するのは作家、宮本輝氏だ。「この方のクラスの子供たちはしあわせだ」と宮本氏は思う。
▼「愛」を「教育」するための法律改正の審議が国会で始まった。「愛って何?」と生徒たちに聞かれたら、教師はどう答えるのだろう。血を分けた我が子でもない生徒たちを真摯(しんし)に愛する教育者の姿そのものが、いずれ隣人愛や年長者への敬意を次代の心に育(はぐく)む。そんな物語は過ぎた時代のおとぎ話なのだろうか。
【5月18日付 日経新聞 春秋】