「夜回り先生」

【人、瞬間(ひととき)】あの日 夜回り先生・水谷修さん(52)(上)

■心開きかけた教え子が…
 「オレは人を死なせた。殺してしまった」
 命日の6月25日が近づくと、胸に苦いものがこみ上げてくる。今年はちょうど十七回忌。あの時、15歳だった彼は何を思い、自ら命を絶ったのか。オレは彼を助けてやれなかったのか。彼の命を償うべく何をしてきたか−。
 横浜市内の定時制高校に勤めていた。マサフミという教え子がいた。
 彼の唯一の肉親であった母親は、小学5年のとき病気で倒れた。それ以来、ろくに食事すらできない極貧状態。シンナーに走った。空腹や嫌な現実からの逃避。
 そんなマサフミにシンナーをやめさせようと、たびたび自宅に泊め、父親のように接した。「シンナーやめられるかもしれない」。そんな言葉も聞いた。閉ざされた心が徐々に開いてきた。そう思っていた。あの日の晩までは。
                   ◇
 授業を終えた水谷の元に、マサフミがうれしそうに新聞の切り抜きを見せにきた。横浜市内の病院が行っている薬物治療についての記事だった。「『シンナーをやめられないのは依存症という病気。医師、専門機関による治療が必要』だって。水谷先生、この病院に連れてってよ。先生はシロウトだから、病気のこと何もわかんねぇよな」
 つい、カッとした。今まで一緒にシンナーをやめようと頑張ってきたじゃないか。その日は、自宅に連れ帰って泊める気になれなかった。
 「わかった。今週は忙しいんだ。来週必ず病院に連れて行くよ。今日はもう帰れ」
 「先生の車磨くからよ、明日連れて行ってくれ」。いつになく食い下がるマサフミを「とにかく今日は帰れ」と追い立てた。
 マサフミは、何度も振り返りながら廊下を歩いていった。そして、叫んだ。
 「水谷先生、冷てぇぞ」
 それが最後に聞いた言葉になった。
 4時間後。深夜の公園でマサフミは友人たちとシンナーを吸い、自らダンプカーの前に飛び込んだ。

                   ◇

 もう教師を辞めよう−と思った。部屋で荷物をまとめているとき、新聞記事が目に止まった。マサフミと訪れるはずだった病院を一人で訪ねた。
 「水谷先生、薬物依存症は病気だ。愛の力では治らない」。経緯を聞いた院長は語気を強めた。「子供たちのドラッグ汚染は大きな問題だけど、教員は誰も携わってくれなかった。力を貸してほしい。一緒に根絶のため闘っていこう」
 意を決した。教師生活を続けながら、薬物の専門家を訪ね歩いて知識を身につけ、依存症の被害を訴える講演をこなした。一方で、学校や家庭に居場所をなくし、夜の繁華街で非行に手を染める子供たちに語りかけた。「困ったら連絡しろ」。連絡先を教えると、救いを求める声が殺到した。子供たちのために靴底をすり減らすうち、「夜回り先生」の名で知られるようになった。
 「大人が『生きているだけでいいんだよ』と、子供たちの心を受け止め、しっかり向き合うだけでいい。私は当たり前のことをやっているだけ」
 もちろん壁に突き当たることはある。迷ったり悩んだりしたとき、横浜市南部の無機質なマンションが立ち並ぶ一画を訪れる。マサフミが最後の時を過ごした公園のあった場所だ。
 「自分の原点。あの日に立ち返ると、背中を押されるかのように力がわいてくる」=敬称略 文 中島幸恵
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【プロフィル】水谷修
 みずたに・おさむ 昭和31年、横浜生まれ。上智大卒。横浜市内の養護学校普通科高校、定時制高校の教諭を経て平成16年退職。夜の繁華街での生活指導を続けている。若者の悩みを聞いて更正の手伝いをする活動のほか、講演などを通して少年非行の実態を社会に訴えている。著書に『夜回り先生』ほか多数。

【6月17日付 産経新聞 より】