薩長仲介前夜の手紙

「露の命ハ」――遺書めく

 1866年1月21日に結ばれた薩長連合を仲立ちした幕末の志士・坂本龍馬(1835〜67年)が、前夜にめいの春猪(はるい)あてに書いたとされる手紙が、23日から京都国立博物館京都市東山区)の特集陳列「坂本龍馬」で初公開される。
 「露の命ハはかられず」とつづられており、同博物館の宮川禎一考古室長は「いつ襲撃を受けるかわからない状況で、遺書めいた文言を書いたのでは。龍馬の当時の気持ちがうかがえる貴重な手紙」と話している。
 手紙は「正月廿日夜」の日付。従来は翌67年1月20日の執筆とみられていたが、66年1月20日の別の手紙との類似点や、女性のおしろいのエピソードを書いた66年秋の手紙の内容につながる記述があることから、宮川室長は66年に書かれたと結論づけた。
 この時期、倒幕に向けて活動していた龍馬は、身に危険を感じていたとみられ、直後の1月23日には常宿だった寺田屋で襲撃を受けた。文面には「私ももしも死ななんだらりや  四五年のうちにハかへるかも(わたしももし死ななかったら、四、五年のうちに土佐に帰るかも)」という記述もある。

 【7月22日付 読売新聞 夕刊1面より】