2008-11巻頭言

 巻頭言は大白2006年3月号から、秋谷会長に代わって先生に書いていただけるようになった。
 先生にこれ以上ご苦労を掛けるのか、いつまで先生に"おんぶにだっこ"なのかと、申し訳なさでいっぱいであった。
 しかし、まだ先生に筆を執っていただかなければならない現実なのかと――
 11月号の大白が3日前に届き、いつものように巻頭言を拝読していて、ふと、日々先生の指導に接する中で、巻頭言だけは先生の名前が活字ではなく、署名で表されていることに今頃気付いたのである。
 これはどういうことなのか?思わず身震いをしてしまった。
 本日、ご執筆から2年8ヶ月遅れの恥をさらして、先生に一歩でも近づきたいとの思いで、"一字一句"その通りでございますと書写し、自身の永遠の指針として「巻頭言」を残していくと決意する。

創価の魂は「勇猛精進」



  この人生
   溢れんばかりの
    勇気 持ち
   己が使命を
    断固と果たせや


 真の勇気にとっては なにごとも不可能ではない――これは、若きアレキサンダー大王の大確信であった。
 勝利の歴史は、勇気ある前進から生まれる。
 私たちが朝な夕なに読誦する法華経の方便品には、「勇猛精進」と説かれる。師・釈尊が弟子・舎利弗に、自ら過去世において「勇猛精進」を貫いてきたことを語られたのだ。
 さらに宝塔品では、未来世の大難のなか、妙法を持ち弘めゆく「勇猛精進」の弟子を、諸仏が誉め讃えると宣言されている。
 「勇猛精進」こそ、仏道修行の根幹であり、師弟不二の証しなのである。我ら仏勅の創価学会は、1930年(昭和5年)の11月18日の創立以来、初代も、二代も、そして三代も、「勇猛精進」で勝ってきた。これからも、永遠に勝ち抜いていくのだ。


  三類の
   強敵 砕きて
    勇猛の
   創価の時代は
    堂々 来たれり


 わが師・戸田城聖先生は、わかりやすく教えてくださった。
 「凡夫は、なかなか慈悲は持てない。この慈悲に代わるのが勇気だ。『人を救おう』『人間革命しよう』『日本を、世界を広宣流布しよう』という勇気だ。その勇気が慈悲に通じていくのである」
 勇気があれば、すべては開かれる。勇気は、誰人にも奪えない。
 熱原の法難の渦中に、門下を励まされた「聖人御難事」には、「をそろししと・いわばたかにあへるきじねこにあえるねずみを他人とをもう事なかれ」(御書P1191)と仰せである。
 三障四魔に退いてしまえば、常に怯えおののく畜生道の流転となる。いかなる三類の強敵の脅しにも臆さず、師と共に「師子王の心」を取り出し、戦い進んできた仏の陣列こそが、創価学会だ。
 戸田先生は、「なかんずく、わが婦人部は、勇気があって恐れない。この方たちを見よ! 模範とし鑑とせよ!」と叫ばれた。


  たゆみなく
   精進ありたる
    人こそが
   最後の勝利者
    永遠の勝利者


 日寛上人は、「勇猛精進」とは「信心唱題」であると示された。「依義判文抄」では「敢んで為すを勇と言い、智を竭すを猛と言う」「無雑の故に精、無間の故に進」と引かれている。すなわち、
 「勇」とは、勇んで行動すること。
 「猛」とは、智慧の限りを尽くすこと。
 「精」とは、不純な雑じり気のないこと。
 「進」とは、間断なき前進また前進である。
 「日月天の四天下をめぐり給うは仏法の力なり」(御書P1146)と仰せの通り、妙法は天体をも動かしゆく本源のリズムである。
 その題目の音律を轟かせながら、苦難を乗り越え、前進しゆく生命は、大宇宙の最極の法則に合致していくのだ。
 あの大阪事件の最中、私は関西の友に手紙を書き送った。
 「百折不撓の精進を共々誓うのみ。人生は生涯闘争なり」
 社会は、乱戦の様相を深めている。臆病では翻弄されるだけだ。
 ロシアの大科学者ベルナツキーは語った。
 「柱をいずこに求むべきか? 無限性の中に、創造的行動の中に、無限の精神力の中に求むべきである」「民衆の中に、嵐にもくじけず、創造し続ける人々の力ある集団が必要である」
 創価学会は、揺るぎなき二十一世紀の柱である。我らの「勇猛精進」の足音にこそ、新たな人類史の希望の響きがあるのだ。
 「法華経研究の母」として名高い、ロシア科学アカデミー東洋学研究所のヴォロビヨヴァ博士は、呼びかけてくださった。
 「前進を! あくまでも、前進を続けてください。創価学会の皆様の一歩は、日本のみならず、世界の人々を『平和』と『安穏』と『幸福』に導く一歩なのです!」
 さあ、栄光の創立八十周年へ、共々に大勝利の「勇猛精進」を!


  勇猛の
   精進ありて
    勝ち戦
   諸天を動かし
    大河のごとくに