護るべきものは「生命の家」
近づくべきものは「善なる存在」(2/8)
チアゴ・デ・メロ
甘い蜜の味を許さない現実
誰もが、子どもの時から、いろいろな人生を味わいます。
辛酸を舐めることもあります。
すると人は、もっと甘味を欲するようになります。
しかし、現実はそれを許しません。
"希望"という甘い蜜の味をも、とことん苦くするほど、現実は厳しいのです。
「不正に満ちあふれ、儚い夢でしかない――人生とはそういうものだ」
そんなふうに、人間は無気力に生きるしかないのでしょうか?
ブラジル北東部の諺があります。
「ムリシ(アセロラなどで知られるキントラノオ科の植物の一種。黄色の実がなる)の時期には、自分の身は自分で守れ」と。
これは、落ちた実は、自分の力で種を下ろし、子孫を残さなければならないという意味です。
同じように、わが身は、自分で守るしかないのでしょうか?
それが嫌なら、不快極まりない逆風に向かって、櫂を漕いでいくしかないのでしょうか?
私は人生を通して、身をもって知りました。
善なる心は、放っておけば、自然に失われていってしまうということを。
だからこそ、人間は善に近づく努力をしなければなりません。
私は、池田大作氏の"善の心の源泉"に少しでも近づきたいと思っているのです。
【大白蓮華 2009-01 P14〜P21 抜粋】