第34回「SGIの日」記念提言 13-3

◇「人道的競争へ 新たな潮流」-VOl.3

貧困と雇用問題の対処は政治の責務

若者に贈られた文豪からの助言
 昨年亡くなった友人で世界的文豪であったチンギス・アイトマートフ氏の言葉を想起します。
 氏は「父親としての助言」として、「若者たちよ、社会革命に多くを期待してはいけません。革命は暴動であり、集団的な病気であり、集団的な暴力であり、国民、民族、社会の全般にわたる大惨事です。(中略)無血の進化の道を、社会を道理に照らして改革する道を探し求めて下さい」(『大いなる魂の詩』、『池田大作全集第15巻』所収)と切々と語っていました。
 マルセルが「弱い精神」からの決別を訴えたのは、ファシズムよりも共産主義(=ソビエト社会主義)への警戒を第一義としていました。
 執筆時期が1951年(ファシズムは壊滅し、共産主義は声望を維持していた)であることから当然ですが、彼が最も警戒したのは、「失うものは鉄鎖のみ」「収奪者が収奪される」といった抽象的なスローガンが、あたかも歴史的必然であるかのように装い、怨念をかきたてて、革命という大義のもとに暴力、流血の惨事を招き寄せてしまうからです。
 70年余にわたる社会主義の興亡の歴史は、彼の洞察の正しさを十二分に立証しております。
 また、貨幣に象徴される拝金主義的な価値観への嫌悪、呪詛にもかかわらず、かつての社会主義が、ついにそれを乗り越えることができなかったことは、歴史の重い教訓といえるのではないでしょうか。
 そろそろ、発想を転換し、文明論的なパラダイム・シフト(思考の枠組みの転換)を図っていかなければならない。
 暴走する資本主義にブレーキをかけるために何より有効なのは、法的・制度的な統御であることは前述しましたが、それらが、その場しのぎの弥縫策に終わるのではなく、長期的なビジョンに繋げていくためには、パラダイム・シフトを避けて通ることはできないと思うのであります。
 80年前の大恐慌の頃は、資本主義に取って代わるものとして、曲がりなりにも社会主義(共産主義であれ、国家社会主義であれ)というパラダイムがあった。
 しかし、今は、それに代わるような理念、ビジョンは、提起されておりません。
〈2009-1-26〉

 【大白蓮華 2009-04 P108〜P134 抜粋】