口紅と美容室

【2010.7.27付 聖教新聞 生活ワイド 介護より抜粋】


 私の妻が、急性骨髄性白血病で体調を崩したのは1997年でした。夫婦とも49歳の時です。
 1年ほど過きて、医師からわずかな余命が告知されました。
 告知後、死と正面から向き合う妻の周りに「聖域」のようなものを感じ、ある一線から向こうへ入れません。
     ― <略> ―
 「俺はもう、どうしたらいいのか、わからん」
 妻は耳元でささやきました。「心配せんでもいい。病院が治せなかったら、自分で治すしかないじゃない」
 出口のない真っ暗なトンネルにいるのは妻の方です。しかし、取り乱すこともなく生と死を見つめ、家族の心配までしているではありませんか。
 そんなすごい人を私は背負おうとしていたのです。とんでもない傲慢です。自分の方を高みにおいて、妻を動かそうとしていた愚かさに気づきました。
 そんな妻ですが、入院先とは別の病院の廊下を歩いていた時に、ふと一言もらしました。「この病院は、いいねえ」「なんで?」「だって、美容室と理容室が別々にあるじゃない」。男女の患者に、それぞれ髪を整える施設がありました。
 伸びた髪が切れれば十分だと思っていましたが、女性はやはり美容室でカットしたいものなのです。
 ある美容ボランティアの人が、闘病中の女性に化粧をしたことがあったそうです。
 ほんのりと顔色が良くなり、鮮やかに口紅が引かれました。思わず夫が「きれいだね」と言うと、その女性は、ぽろぽろ涙をこぼしました。その一言を何年も待っていたのです。 どれだけ床に伏していても、病人ではなく、女性として見てもらいたいのです。
 映画『おくりびと』にも、故人の愛用していた口紅を使って、美しい死に化粧が施されるシーンがあります。喪主の夫が、「あいつ……、今までで、いちばんきれいでした」。納棺師に深々と頭を下げます。
 どこまでも一対一の人間として、夫婦として向き合ってあげることが、大切なのではないでしょうか。
     ―<略>―

 2年前に妻を亡くしました。
 入院中は毎朝、先生の指導や、御書の一節をメールで送りました。
 また、自営業ゆえ時間のゆるす限り、朝、病院に寄って(面会時間外で迷惑をかけたと思います)新聞と着替え等を届けて30分ほど話をしてから事務所に行くことが日課となっていました。
 この記事を読んでいて、思わず涙がこぼれてきました。妻を、同志、そして、ともに病気と闘う戦友として一生懸命に激励はしていたが、女性として接してはいなかったなと思います。
 まぁ、今度、一緒になった時にでも謝りますか。(笑)