爛漫たる勝利の春

試練の厳冬を越え 爛漫たる勝利の春

    台湾 名誉理事長 朱萬里 Taiwan Chu Wan-Li
 台湾では、1949年(昭和24年)から87年(昭和62年)まで40年近く、政府によって戒厳令が敷かれ、集会・結社の自由も厳しく制限されていた。この台湾に支部が結成されたのは、62年(昭和37年)。池田SGl会長(当時、会長)は、翌63年に訪問。しかし、その2カ月後に、当局から違法な団体として解散の命令が下された。厳冬の時代を、SGl会長の激励を胸に耐え抜いた同志たちは今、爛漫たる勝利の春を謳歌している。

勝負は30年、40年先
 まさか、池田先生が台湾に来られるとは 飛行機で通られる空を仰ぎ見られればと思っていた私たちにとって衝撃の出会いでした。
 1963年(昭和38年)1月27日、先生が乗る飛行機は、香港から東京に向かう途中、台北松山空港に着陸しました。乗るはずの直行便が遅れ、もともと予定になかった台北経由の便に変更されていたのです。
 当時、私は台北支部長。連絡を受けた私は空港に飛んでいきました。空港の金網越しに先生の姿が見えました。「先生」と走りだしました。
 先生は手を差し出してくれました。金網越しの握手は、指が2本しか入らない握手でしたが、生涯忘れられない思い出となりました。
 戒厳令下の厳しき活動状況をお伝えすると、先生は言われました。「本当の勝負は、30年、40年先です。最後は必ず勝ちます」
 そして、駆け付けた50人を超える同志を包み込むように激励してくださいました。「今、台湾は、信心をするうえで、何かと大変なことが多いと思います。しかし、冬は必ず春となります。忍耐強く、生命の大地に深く信心の根を張り巡らせていってください」と。

 本当の厳冬は、2カ月後にやってきました。4月3日、私は、警備総司令部(当時の公安組織)に出頭を命じられました。入会の動機から組織の実態まで事細かに尋問され、この仏法は社会に貢献するものであることを誠実に訴えました。しかし4月8日、当局は、「非常時期人民団体組織法」に基づいて、創価学会台北支部の解散を通知してきました。新聞各紙でも"不法組織が解散宣告を受けた"と一斉に報じられました。
 私は、あの空港での先生の激励を噛みしめながら、断腸の思いで、同志に解散を伝えました。「憲法で、信教の自由は保障されています。私たちに信心がある限り、冬は必ず、必ず、春になるのです」
 私は、大手セメント会社の課長でしたが、この日を境に、同僚からは異様な目で見られ、上司からは信心をやめるよう迫られ、左遷もされて給与は最低水準まで減らされました。本当につらい日々でした。日本に行って先生にお会いしたいと思いましたが、20年間、 出国を許されませんでした。
 先の見えない淵に沈んでいた66年(昭和41年)2月、日本から先生のお手紙が届けられました。1m半もある和紙の巻紙に、筆文字で認められていました。
 「台湾の皆様の御金言を身を以て実践した信心は、学会員の亀鏡であり、熱原の三烈士を偲ばせます。創価学会草創期において軍部の弾圧に屈することなく、今日の発展の基盤をつくつたのと同じ方程式であり、台湾に正法が流布する瑞相です」
 何度も繰り返し読みました。"すべてを分かってくださる師匠がいる"――これ以上の喜びはありません。誉れはありません。私たちは、新たな決意に奮い立ちました。
 「よき市民、よき社会人として、平和・文化・教育への貢献を」との先生の指針を胸に進んでいこうと、ハーモニカ隊、合唱団、舞踊グループ等を結成しました。
 会合が開けなくても、教学を通して仏法への理解を深め、強盛な信心を確立することができます。私は、自ら御書の中国語訳にも着手しました。毎日深夜まで、資料と格闘し、御文を何度も拝しては推敲に推敲を重ねました。あまりの膨大さに挫けそうになることもありました。忍耐強さが必要な労作業でした。しかし、先生の御書講義を拝して、先生と日々対話をさせていただけると思うと元気が出てきました。一生かかってもやり遂げようと決めました。

解散から27年後の勝利
 台湾は80年代、目覚ましい経済発展を遂げ、世界との往来は日に日に盛んになりました。政府も、高まる民主化の要求に応え、87年7月、戒厳令の解除を宣言したのです。 そして解散命令から27年となる90年の3月3日、ついに台湾SGIの組織が正式に発足するのです。
 長い冬の時代に育んだ種は、先生が「30年先、40年先」と言われた今、春風の中で大輪の花を咲かせています。
 台湾SGIは、15回連続の内政部の「社会優良団体賞」、7度の教育部の「社会教育推進功労団体賞」、および内政部の「成績優秀宗教団体賞」を受賞しました。
 かつて社会から向けられた異様な眼差しは、信頼と賞讃へと転じました。不可能を可能に変革したのです。
 97年には、御書の中国語訳を完成させて先生にお届けし、2000年の11月18日、中国語版御書として正式に発刊することができました。
 昨年5月には、台湾SGI新本部(至善文化会館)が完成しました。その折、先生は「まさに試練の冬に、皆さま方は金剛不壊の信行学を鍛え上げ、磨き抜かれた」と慶祝のメッセージを贈ってくださいました。
 台湾広布は苦難に満ちた道でした。しかし、この先生の言葉の通り、苦難と戦って、日蓮大聖人の精神、先生の真心のご指導を心から学ぶことができました。多くの同志が、堂々と胸を張って幸福の道を歩めることは、私にとっても無上の幸福です。

 今、88歳ですが、心は青年です。法華経に「在在諸仏土常与師倶生」とある通り、師匠と共に生まれ、この50年、師匠と共に戦うことができました。私たちは、先生に心からの感謝を捧げたいのです。

池田SGl会長と台湾
 1963年1月27日に台湾の松山空港に降り立った池田SGI会長は、その後、手紙などを通じて戒厳令下のメンバーを激励し続けた。アジアの平和と友好に尽くしたSGI会長の行動に、台湾の文化・学術界は厚い信頼を寄せ、中国文化大学、台湾芸術大学をはじめ8大学が「名誉博士」「名誉教授」の学術称号を贈っている。

大白蓮華2010.8 P54〜57】

 また、本日の聖教新聞に「高雄大学」(同大学初)からも、先生に「名誉教授」称号が授与(29日、創大本部棟にて授与式)された事が掲載されています。

 先生の謝辞のなかで"47年前に急遽、台北松山空港に降り立った折りは、わざわざ夜行列車で駆けつけてくれた高雄の友と、忘れ得ぬ出会いがありました。
  ― <略> ―
 貴大学からの最上の栄誉を、私は親愛なる台湾の友人たちと分かち合わせていただきたいと思っております。"と、師弟共戦の台湾メンバーの晴々とした顔が浮かんでくるようです。

 「本当の勝負は、30年、40年先です。最後は必ず勝ちます」「冬は必ず春となります。忍耐強く、生命の大地に深く信心の根を張り巡らせていってください」との、先生の指導を胸に戦ってこられた台湾メンバーに感動しました。
 反対に、目先の選挙結果で、その他の様々な事で、一喜一憂しては、愚痴って、本当に情けない、「先生とともに」「先生に大勝利の報告を」などと、結果も出せない掛け声ばかりで恥ずかしい限りです。
 台湾メンバーへの指導の如く、生命の大地に深く根を張る信心をしてまいりたい。そして、本当に「在在諸仏土常与師倶生」を身読できる戦いをしてまいります。