ありがとうございました

 わが妻すみえが1月13日に亡くなりました。
 たくさんの激励、お題目ありがとうございました。
 通夜式当日の挨拶をそのままデータにしました。
 私の自慢の、だいすきな(のろけです)、すみえの戦いを誉めてあげたかった。そして、ご両親、ご兄妹へのすみえができる最後の折伏だとの思いで13日に亡くなってから14日の通夜までの間に時間を見つけて寝ないでつくりました。
 もっと、いっぱい指導や激励、本人の決意がありますが、あまり長くなるので泣く泣くまとめました。
 それでも約9分ありました。

 本日はご多用のところ、妻すみえの通夜式にご参列いただきまして本当にありがとうございます。
 皆様の貴重な時間をいただいて本当に申し訳ございませんが、この場をおかりいたしまして、少し長くなるかもしれませんが2つだけ話をさせて下さい。

 1つ目は、本来なら妻すみえ本人が勝利宣言をするべきところですが、それが叶いませんので私が報告させていただきます。
 おととしの平成18年8月22日子宮内膜症ということで子宮と卵巣の全摘出手術を行いました。
 その子宮の裏に悪性腫瘍が見つかり、また、おなかいっぱいに砂を撒いたように癌があり、印鑑細胞癌というらしいですが、これ以上手術はできない余命は1、2ヶ月との宣告を受けました。
 10時間近くにも及ぶ手術を終え、病室に戻った冷え切った体の妻にありのままを伝え、共に唱題で、新年を迎え勝利の実証を示そうと誓いました。
 N総県長に指導を受け、ありのまま先生に「誓い」の報告をいたしました。
 先生より、御伝言と「健康長寿」の押印和紙をいただき、家族5人でお礼と決意の署名をして、再び先生に報告させていただきました。
9月16日 退院
10月14日 抗ガン剤治療を開始するが、白血球数が下がるため持続できない。
 すみえの手記に「白血球2080、いぜん薬飲めず、やめて2週間、腹を据えて題目で治すしかない。薬をあてにするなということなのか
10月25日 白血球数が安定しないため都島の医療センターの血液内科へ
11月1日 骨髄穿取、髄液を取るため骨に穴をあける
 すみえの手記に「めちゃめちゃ怖かったけど、やってみるとこんなもんなんや、以外と痛くなくてホッとした。久しぶりに都島(私の実家)に行ってお母さんに会った。いっぱいごちそうをいただいた、うれしい。亡くなったお父さんの写真を見て、お父さん見ててくれてるんや、がんばらなと思う」
11月16日 薬で白血球数を上げながら、普通の人の半分程度のおまじないのような抗ガン剤治療を開始、医師より今の状態から考えると年を越すことは無理かもしれないと、家族で唱題にますます力が入りました。
 また、その間、多くの同志の真心の激励やお題目に守られ、長男も社会人になっていたので、初めて家族5人で財務をやりきり、そして、2007年を勝利で迎えました。
1月2日 愛媛の実家へ帰るのを、本人は体力に自信がないからと言っていましたが、元気になった姿をご両親に見せてあげるのも親孝行だからと言って無理矢理、子供3人と帰らせました。その時の写真が前にある遺影であります。
 6日に帰ってくると、行く前とはうって変わって、いっぱいごちそうを食べたと嬉しそうに話してくれました。
 私は仕事のためこちらに残り、正月をインスタント食品で過ごしておりましたが…
3月9日 排尿時、膀胱が痛いということで、右尿管カテーテルの交換手術。次の交換はできるかどうか?と医師より言われる。
5月7日 退院よりずっと下剤を飲んで便通コントロールしていたが、吐き気が激しくなり入院
検査の結果ガンによる腸閉塞とのこと。これからの選択は2つ
 1、鼻からチューブを入れて、点滴だけで何も食べられずに、いつかやってくる死を病院で静かに待つ。
 2、成功率1%以下の人工肛門の手術をする。
 でした。
 すみえの手記に「もう一度思う存分に広宣流布の戦いをさせて下さい恩知らずの仏敵を倒す前に自分が倒れてたまるか祈りは絶対叶う、師匠と心を合わせて戦えば、道は開かれ、壁は必ず乗り越えられる」
との先生の指導を読んで手術の決意をする。
6月1日 手術
 2ヶ所の人工肛門をつくりました。2つの人工肛門をつけたことは特殊で、体の状態から1ヶ月はもたないだろうと言われました。また、他の医師からも半年後はいないだろうと言われた。
6月23日 退院
 家で3週間を過ごしました。
7月13日 吐き気と痛みがひどいため救急車で病院へ
 鼻からチューブを入れる。もうチューブはとれないので医師より外出は無理とのこと、退院なんてもう考えられない。とのことでした。
7月30日 K地区でお世話になった、Hさんのお通夜にどうしてもでたいと、医師に無理をいってチュ−ブを抜いてもらい、おまいりすることができました。
 病院に帰ってからは吐き気がないのでチューブを抜いたままになっていました。
 Hさんに守っていただいたと感謝しておりました。それから、8月7日、11日と外出
8月22日 手術後1年を勝利で迎えました。
8月26、27日、そして、9月1、2日外泊もでき、もう1回外泊してもなにもなければ一時退院も考えられると医師より言われました。
9月15、16、17日 外泊最後の日に吐き気がして病院へ
11月24日 再び外出
 そして、2回目の財務を家族5人でやりきり2008年の本年、1.2先生の80才のお誕生日を元気で迎えることができました。
 年頭にあたり、私自身の宿業なんだ、宿命転換の戦いに3時間唱題と週1回の10時間唱題を再び決意したことを伝えると「やっとわかってくれたん」とすみえにいわれました。
1月11日 医師より2日続けての血液検査の結果、血小板の減少が激しく、1週間はもたないと、しかし、ここまで生きてこられたのは奇跡というしかない。どうしても生き抜くんだという生命力の強さに感動しますといわれました。
 そして、昨日1月13日11時31分に、ご両親、兄妹そして家族だれ一人欠けることなく全員に見守られながら、安祥として霊山浄土に旅立ちました。
 生前すみえは、いっぱいの同志の真心と、唱題に守られて戦わせていただき本当にありがとうございますと、言っておりましたことをご報告いたします。

 2つ目は、「生生世世の間ちぎりし夫は大海のいさごのかずよりもををくこそをはしまし候いけん、今度のちぎりこそまことのちぎりのをとこよ、そのゆへはをとこのすすめによりて法華経の行者とならせ給へば仏とをがませ給うべし」と御聖訓にございます。
 すみえには申し訳ないけれど、これからはずっと夫婦ですね。
 ただ、来世は年の離れた夫婦になるのかな?
 ちょっと生まれ変わるのを待ってもらわなあかんかな?
 それとも、私ももうすぐそっちにいくのかな?
 凡夫の私にはわかりませんが、ただ、来世は私を見送ってね。
 すみえ聞いているかな。最後のラブレターを送ります。
 北海道で初めて出会って30年5ヶ月、本当にありがとう。いろいろなことがあって語りつくせないけれど来世も広布に一緒に戦おうね。
 
 以上、貴重な時間をいただき本当にありがとうございました。
 御礼申し上げます。また、明日の告別式は13時30分から当会館で執り行います。平日でお忙しいと思いますが、多数御会葬いただきますようお願いいたします。ありがとうございました。

 UPの日付を通夜式当日に遡りました。