2009.04巻頭言

信念の「振る舞い」の名優たれ



  人の為
    法の為にと
       尽くしゆく
     汝の人生
       尊貴の仏か

 それは、サンフランシスコで、現代化学の父ポーリング博士と最後にお会いした時のことであった。「きょうも三人の病の友を励ましてきたところです」と、九十二歳の博士は頬を紅潮させた。その青年のように張りのある声の響きが、今も耳朶から離れない。
 真の人生の喜びも充実も、人のために行動する中にある。博士は「創価の菩薩の精神こそ人類を幸福にします」と微笑まれた。
 釈尊は、一人のために、法華経の一句でも説き聞かせる人は、「如来の使」として、「如来の事」すなわち「仏の振る舞い」を行じているのだと賛嘆なされている。まさしく学会活動である。
 偉ぶった百千の空論よりも、地道な一つの具体的な実践が尊い
 「真に英雄的な行動や献身的な行動は、これを庶民のなかに求めざるをえないのだ」―― トルストイが大切にした箴言である。

   荒波の
     人生劇場
        舞台とし
     菩薩の如く
        振る舞う天女は

 流れる水は澱まない。行動する生命は常に清々しい。生き生きと動けば、何かが生まれる。快活に語れば、何かが広がるのだ。
 わが師・戸田城聖先生は、よく教えられた。
 「広宣流布を行ずる人は、御本仏の代理である。ゆえに御本仏に感応して、いかなる困難にも打ち勝つ生命力が涌出する。顔色は桜が花咲くように輝き、体には活力が漲り、智慧が冴えるのだ」
 とりわけ、正義の大確信に燃え立つ創価の女性たちの生命は、明るい陽光の如く、地域を照らし、社会を照らし、未来を照らす。
 あの人道の母ローザ・パークスさんと一緒に、勇敢なる闘争の歴史を残した公民権運動家のバージニア・ダーさんは語った。
 「何か得をするためではない。名声や栄誉や、お金や地位のためでもありません。これが正しいと信じるから、行動するのです」
 信念の道を貫く母の誠実な振る舞いには、万人が頭を垂れる。

   大使命
     心に輝き
        今日も立て
      師弟不二なる
        誉れの地涌

 日蓮大聖人は、正義なるゆえに、嫉まれ、陥れられ、いわれのない讒言と戦う直弟子の四条金吾に、厳然と言い切られた。
 「すこしも・へつらはず振舞仰せあるべし」(御書P1164)
 さらに、邪悪な坊主の陰謀に立ち向かう池上兄弟に対しては、「例せば日蓮が平左衛門の尉がもとにて・うちふるまい・いゐしがごとく・すこしも・をづる心なかれ」(御書P1084)と仰せである。
 仏法の振る舞いの真髄は何か。「勇気」であり「信念」である。それは「臆病」や「へつらい」の対極だ。権威を恐れ、悪口に怯み、見栄を張る命は、魔に食い破られて、敗北してしまう。
 有名な「如説修行抄」の文段には、こう明かされている。
 「師の所説の如く弟子これを修行す、これ如説修行なり」
 気取りや慢心など、かなぐり捨てて、死身弘法の師匠に続き、ただただ恐れなく、堂々と戦い切ればよいのだ。
 この師弟不二の振る舞いにこそ、究極の人格が光り、至高の人間性が香る。それゆえに、人の胸に響き、心を打たずにおかない。
 その如説修行の師弟を守りに護るために、三世十方の仏菩薩や諸天善神はもとより、悪鬼魔民さえも必ず動き、働き始めるのだ。
 ここに、ありとあらゆる法難を乗り越えて、創価学会が大発展を成し遂げてきた要諦がある。これからも変わらざる法則である。
 南米アルゼンチンの人権の獅子エスキベル博士は語られた。
 「創価の師弟は、自らの振る舞いを通し、こう教えてくれました。一人ひとりが他者と力を合わせ、人々の間に、諸民族の間に、友情と理解の絆を築き上げるなら『人類が求めてやまない変化をもたらすことができる』ということを。その模範を示したのです」
 我らの人生は、平和と幸福を広げゆく使命の劇だ。今日も頭を使い、声を出し、心を砕き、祈り動いて、勝ち誇りゆく名優たれ

   わが人生
     勝ち抜け 生き抜け
        三世まで
      妙法蓮華の
         当体なりせば

  仕事も、やっと峠を越えて、久しぶりのUPです。
  徹夜も、この年になると2週間ぐらい疲れが取れないですね。(^^;