2010.11巻頭言

いざや躍進! 万年までも

 晴れやかに
  創立記念日
     祝賀せむ
  一千万の
    同志に万歳

 1930年(昭和5年)の11月18日の火曜日、59歳の牧口常三郎先生は、30歳の若き戸田城聖先生と二人で、『創価教育学体系』を発刊なされた。
 わが創価学会の創立である。
 それは、世界大恐慌の闇夜に鮮烈に放たれた「立正安国」の光であった。軍国主義の濁流に対峙して掲げられた「広宣流布」の旗であった。そして、白法隠没せんとしていた正法正義の命脈を蘇らせゆく「令法久住」の師子吼であったのだ。
 日蓮大聖人の御聖誕(1,222年=貞応元年)より700年――。
 創価の師弟は不惜身命の決心をもって、妙法弘通に立ち上がった。人類史を変えゆく、未聞の民衆の平和の大行進が踏み出されたのである。
 オーストリアの作家ツヴァイクは言った。「たった一人の人間でも……数百世代もの人々のたんなる希望の夢にすぎなかったことを、一つの現実に、不朽の真実に作り変えることができる」と。
 焦点は「一人の人間」である。「一人」が持つ、計り知れない生命の希望の力を、いかに自覚せしめ、解き放っていくかである。
 牧口先生は自ら遠路、足を運んで折伏した一人の母に言われた。あなたが御本尊を頂くということは、仏法の原理に照らして、この地域の全民衆が不幸という悩みから救われることになるのです――と。
 師弟は永遠である。ゆえに、御自身の死身弘法に必ずや愛弟子が続きゆくことを確信しつつ、創立の父は殉教なされたのだ。
 「御義口伝」には、「煩悩の淤泥の中に真如の仏あり我等衆生の事なり、今 日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉るを当体蓮華の仏と云うなり」(御書P740)と明かされている。
 濁り切った泥沼の如き現実社会に雄々しく根を張りながら、目覚めた庶民が一人また一人と、誉れも高く「当体蓮華の仏」として、尊極の生命の花を咲かせてきたのが、創価の「人間革命」なのである。
 「広宣流布」は、人間の尊厳を踏みにじる魔性との大闘争だ。三障四魔、三類の強敵が競い起こる難事中の最難事である。
 「開目抄」には、「今度・強盛の菩提心を・をこして退転せじと願しぬ」(御書P200)と仰せである。学会は、なぜ強いのか。この不退転の「師弟の誓願」に生き抜いているからだ。誓願を貫く生命にこそ、仏界の智慧と勇気が限りなく涌現する。三代の師弟は、魔性を見破り、魔軍と戦い抜き、断固と勝ち切ってきた。
 戸田先生は断言された。「魔を打ち破って、妙法の力を、一人一人に、そして国土世間に脈動させ、蘇生させていける存在は、学会しかないのだ」と。この仏の陣列ほど、大切なものはない。
 大聖人の仏法に脈打つ人間主義の大哲理を、私たちは「平和」「文化」「教育」という三つの現代的次元へ展開してきた。世界の知性や指導者を対話で結び、何ものにも揺るがぬ民衆の信念の大連帯を築き上げた。
 「創価学会は、平和と人間の開発のために力を尽くす人々の集まりです。まさに人類の夢を描き、夢を実現する団体なのです」とは、対談を重ねてきた国連前事務次長のチョウドリ博士の讃嘆の声である。
 蓮祖は、「万年の外・未来までもながるべし」(御書P329)と大宣言なされた。この大河を全地球へ広げ、万年に尽きぬ流れを開いた我ら創価の80年であったといってよい。
 誓願によって、師弟の心は一体である。正義の師弟が不二なれば、絶対に行き詰まりはない。
 いよいよ、これからだ。栄光の創立80周年、万歳! さらに壮大な100周年へ、伸び盛りの若き人材と共に、いざや躍進!

 あな嬉し
   創価の万里の
        長城は
   百周年へと
      厳と聳えむ

 先月の前半は、なんとか細切れながら時間を作って、もがきながらノルマのような唱題でしたが、何故か20日以降は忙しさは何も変わっていないのですが、時間も忘れるぐらい気持ちよく唱題できる日が多く感謝でいっぱいです。(4,592分)
 いよいよ創立の月11月になりました。