2009.10巻頭言

創立80周年へ 威風堂々の大前進を



 今日もまた
   久遠元初の
      新しき
     生命を燃やせや
        太陽見つめて

 よき人生の建設のためには、何が大切か。若々しく生きゆく達人であった大文豪ゲーテの結論は、まことに明快である。
 「過ぎ去りしものを歎くな」
 「己新しく生れ出でしがごとく生きよ」
 偉大な使命の闘争に、歎きはない。感傷もない。愚痴もない。日々、自分自身が新しく生まれ変わった息吹で前進するのみだ。
 妙法を唱えゆく、わが生命には久遠元初の太陽が昇る。何があっても広宣流布のために前へ前へ。ここに創価の八十年の誉れがある。
 「創価学会の皆様は、これまで常に試練の連続でした。だから永遠なのです。試練を受けることは、ますます成長し、ますます強くなることの証明です。それが自然界の法則なのです」
 インドの戦う知性ラダクリシュナン博士の洞察である。

 大聖人
  誉めなむ 讃えむ
     皆様を
   仏になりゆく
       功徳は三世に

 仏法では、三世永遠の生命観が明かされている。今世において、妙法流布に励みゆく姿それ自体が、どれほど深い因縁であるか。
 法華経の法師品には、「已に曽て十万億の仏を供養し、諸仏の所に於いて、大願を成就して、衆生を愍むが故に、此の人間に生ず」と説かれる。甚深の金言である。
 経文の鏡に照らすならば、わが広布の闘士たちは、すでに過去世に、仏道修行を貫いて大願を成就し、仏となってきた「生命の勝利者」なのである。そして苦悩の友を救わんがため、師と共に、あえて困難の渦巻く悪世末法を願い求めて、躍り出てきた。これが、学会員の尊き皆様方の生命の本地である。
 いかなる障害が立ちはだかろうとも、すべてを乗り越えて、自他共に幸福と正義と平和を勝ち取っていく。この仏の力と智慧を漲らせゆく朗らかな歓喜の大行進こそ、我らの創価なのだ。

 大福運
   子々孫々までも
     積みゆかむ
    地道な聖業
      確かな因果と

 御聖訓には「陰徳あれば陽報あり」(御書P1178)とお約束である。
 狡賢い邪知が幅を利かせ、まじめな努力が報われない――古今東西、幾多の人びとが憤慨してきた人間社会の矛盾といってよい。
 しかし、仏法の「陰徳陽報」とは、陰で最も苦労して戦った人が、必ず最も大きな果報に包まれゆく、厳正にして公平な法則だ。
 正義の人を苦しめた悪徳の徒は、生命の因果律の峻厳な裁きからは逃れられない。最期は、深い苦悶と後悔の闇に包まれる。
 この「幸福哲学」の革命を、賢く、たくましく、推し進めているのが、わが創価の宝の母たちの春夏秋冬である。
 草創の大関西の婦人部の叫びが、私と妻の心から離れない。
 「私たちは、師匠から不退の信心を教えていただきました。ゆえに、何があっても必ず変毒為薬するのだと決めています」「一人一人が『絶対に負けへん』と言い切れる存在でありたいのです」
 御本尊を拝して、右の肩には「若悩乱者頭破七分(若し悩乱する者は頭七分に破れん)」。左の肩には「有供養者福過十号(供養する有らん者は福十号に過ぐ)」と厳然と認められている。
 強盛なる祈りがあれば、妙法の公明正大なる光に照らされて、善と悪の賞罰、正と邪の勝負は、時とともに明確に現れる。
 「学会に尽くしてくれた人を御本尊は放っておかないよ。人生も、信心も、そして学会も、断じて強気でいくのだ。最後に勝てば、全部、勝利なのだ」。恩師の大確信の遺言であった。
 国際宗教社会学会の会長を務められたドブラーレ博士は、「日蓮仏法は『種を蒔く仏教』、すなわち『新たな結果を生む新たな原因をつくることは、いつでも可能であるとする仏教』です」と明察されている。今この時に、いかなる種を蒔くかが勝負だ。
 さあ共々に、栄光の創立八十周年へ、威風堂々の大前進を

  いざや立て
   いざや進まむ
      新たなる
     広宣流布
       大道 開きて

 この時期、ありがたいことに、ずっと休み無しで仕事をしております。せめて月1回の巻頭言だけでもとUPいたしました。