先ず隗より始めよ

古典に学ぶ アジアの智慧 1    村上 政彦

 このエッセーでは、読者の皆さんとともに、"知の世界遺産"ともいうべきアジアの古典を愉しみながら、いまを勝ち抜くための智慧を学んでいきたい。
 今回は、中国古典の一つ『十八史略』のページを開きます。

【先ず隗より始めよ】
 二千数百年むかしの中国の戦国時代。燕という国があった。歴史は古いけれども、国力に乏しい小国だった。王の噲が、宰相の子之に位を譲ったことから国が乱れ、そこを斉の国に衝かれた。子之は討ち取られた。
 新しく玉座にのぼったのは昭王。すぐれた徳の持ち主で、謙虚で、行き届いた配慮のできる人物だった。あるとき郭隗という賢者に訊ねた。
 「私たちの国は、斉に敗れてしまった。連中を押し返したいが、小国の悲しさで、力が足りない。国を強くするには、多くの賢者を招いて、人材の層を厚くするしかない。どうか良師となる人物を推薦してほしい。私自身が教えを請いたい」
 すると郭隗が故事を説いた。かつてある王が一日に千里を駈ける駿馬を手に入れようとして、配下に千金を与えて送り出した。すると五百金で死んだ馬の骨を買って戻った。王が怒ると、死んだ馬の骨でさえ五百金で買うということが広く知られれば、生きた馬は待っていれば集まって来る、と答えた。やがて一年もしないうちに、求めていた駿馬が三頭も現れた。
 「昭王様」と郭隗は言った。 「賢者を求めておられるのなら、この隗から始めてください。私のようなものでさえ用いられたとなれば、お探しの賢者は必ず現れるでしょう」
 「分かった。私は、あなたに師事しよう」
 昭王は、郭隗に大きな屋敷を与えて厚遇した。この話を聞いた賢者たちが、方々から燕を訪れた。なかでも、魏からやって来た名将軍・楽毅は大臣に任じられ、国政を委ねられた。燕は国力を充実させ、小国ながら戦国時代を代表する戦国七雄の一角に入り、斉に攻め込んで都の臨淄を落とした。賢者を招いて国を強くするという昭王の政策は成功したのだ。 (参考文献=竹内弘行『十八史略』、講談社学術文庫)
 リーダー自身の変革が強い組織に
 先ず隗より始めよ――リーダーの率先垂範を説いたこの成語は、昭王が郭隗を用いた故事に基づいています。
 これはリーダー自身の変革が、強い組織の構築に通じることを示す逸話です。同時に、人材を差別しない、という人材観を示してもいる。楽毅は、歴史に残る逸材でしたが、郭隗は燕の人物というだけで、消息ははっきりしません。つまり、そういう人物でさえ、昭王は人材として遇したのです。リーダーのこの態度が、人材を求める国・燕の名を高めて、多くの人材を糾合できた。すぐれたリーダーとは、みずから人材を発見し、活躍のステージ(舞台)を与えることのできる存在をいうのです。
 さて、この逸話には後日談があります。昭王が亡くなったあと即位した恵王は、斉の工作に取り込まれて、楽毅を冷遇し、国外に去られました。その結果、燕は、再び斉に敗れてしまったのです。
 愚かなリーダーに率いられた人民は哀れです。
 村上 政彦(むらかみ・まさひこ)1987年、海燕新人文学賞を受賞して作家生活に入る。
 著書に『三国志に学ぶリーダー学』『ハンスの林檎』『魔王』『トキオ・ウィルス』『ナイスボール』など。
【2010.1.7付 聖教新聞

 【文化】面に毎週掲載されるのかと楽しみにしていましたが、残念ながら今週は有りませんでした。