古典に学ぶ アジアの智慧 2 村上 政彦
【管鮑の交わり】
中国の春秋時代――斉国の管仲は、名宰相として活躍した。国が海に面していたので、海産物の貿易を振興して国庫を豊かにし、強い軍隊を育てた。民衆の心の機微に通じていて、誰もが望むことを行い、嫌がることは無理強いせず、臨機応変で、かつ慎重だった。
管仲の巧みな政治によって、彼の主人・桓公は、覇者として諸侯に君臨することができた。彼は主人にも等しい私財を蓄えていたが、非難する者はおらず、その優れた政策は、死後も実施されて、長く祖国を守った。
ところで、管仲が宰相として腕を揮えたのは、友人の鮑叔のおかげだった。二人が斉の国に雇われたとき、鮑叔は公子(君主の子)・小白に、管仲はその兄の糾に、それぞれ仕えた。世継ぎに選ばれたのは小白で、権力闘争に敗れた糾は死に、管仲も囚われた。
普通ならそのまま政治生命を断たれるはずだが、鮑叔が強く管仲を支持した。
「管仲は、天下を獲るために不可欠の逸材です。用いなければ、必ず悔やまれます」
桓公となった小白は、鮑叔の意見を容れて、管仲に国政を担わせたのだった。
良友ほど力になるものはない
のちに管仲は、鮑叔との交わりを回顧して述べた。
――若い頃に、鮑叔と事業を起こしたが、いつも私のほうが多くの報酬を得ていた。鮑叔は非難しなかった。なぜなら私が貧しいことを知っていたからだ。
鮑叔に恩返しをしようと、別の事業を起こしたが、失敗して追いつめられた。しかし彼は私を無能と思わなかった。時期が悪かったと笑っていた。
私は何度か仕官して、そのたびに解雇されてしまった。しかし鮑叔は、私に力がないとは思わなかった。向こうの見る眼がなかったのだと慰めてくれた。
戦のとき、私は逃げたことがあったが、鮑叔は、卑怯だと言わなかった。なぜなら年老いた母親がいることを知っていたからだ。
公子・糾が敗退したとき、同僚は討ち死にした。私は生きで虜囚となったが、鮑叔は恥知らずな男と思わなかった。私が、天下のために働けないことを、何よりも恥と考えていることを知っていたからだ。
「私を生んでくれたのは父母だ」と管仲は、言った。「しかし私を知ってくれるのは鮑叔なのだ」
(参考文献=司馬遷『史記』小竹文夫・小竹武夫訳、ちくま学芸文庫)
いわゆる"管鮑の交わり"の逸話です。
管仲の幸福は、ひとえに鮑叔という良友を持ったことによります。自分のことをつぶさに知ってくれる友人の存在ほど、生きていくうえで力になるものはない。
ただ、そういう人物は待っていても現れません。まずは、自分が鮑叔となって人を信頼することですが、誰彼なしに信頼すればいいというものでもない。 『史記』では、「天下の人は、管仲の賢をほめるより、むしろ鮑叔の人をしる明をほめたたえた」とある。
多くの人と出会い、人間への洞察力を養って、ひとたび見込んだ人物は徹して信頼する――これが良友を得る秘訣です。
【2010.1.21付 聖教新聞】