「美しい国」とは?

 御聖訓には「うるわ(麗)しき日本国」(御書P1461)と記されている。
 日本は昔から、春夏秋冬にわたって山川草木が美しい。
 それはそれとして、根本的に大事なのは、そこに住む人々の「心」が美しいか、美しくないかということであろう。
 「美しくない心」----それは例えば、無慈悲、残酷、排他的な心、嫉妬の心、また人を中傷するような心といえよう。
 反対に「美しい心」とは、慈悲の心、助け合いの心、尊敬し合う心、平等の心、平和の心、そして建設の心といえるのではないだろうか。
 ともあれ日蓮大聖人は、「心こそ大切なれ」(御書P1192)と仰せである。
 大事なのは「心」である。うわべではない。
 戸田先生も、本当に鋭く人の「心」を見ておられた。天才的な指導者だった。
 私は、その先生のもとで徹底して訓練を受けた。幾多の人間を見てきた。だから人と会っても、その人の本当の「心」がどうなのかが分かる。
 また大聖人は、御書の中で衆生の心が汚れれば、住む国土も汚れ、心が清ければ国土も清い」との経文を引かれ、清らかな国土といっても、汚れた国土といっても、ただ心の善悪によると示されている(御書P384)。
 美しい心があって、はじめて美しい国となる。
 最も美しい、最も強い「太陽の心」で、私たちは、時代の闇を明るく照らしてまいりたい。平和と文化の大道を、堂々と進んでまいりたい。
 この強い心こそ、「仏の心」である。「創価の心」なのである。

【2007.8.1 新時代第9回本部幹部会での指導より】