増田名誉教授の眼

 長崎大学の名誉教授・増田史郎亮は朝の支度を終え、ソファに腰を下ろして「西日本新聞」を手に取った。
 一面をめくって手を止めた。
「おっ池田先生だ」
 2002年(平成13年)12月3日付。米国同時多発テロ事件をめぐり、日本のマスコミもアラブ社会に注目していた。この年、朝日、読売、毎日、産経の四大紙をはじめ、各紙が会長にインタビューしていた。
 会長の回答は明快だった。
「テロは、いかなる理由でも絶対悪だ」
「テロを正当化することなど、本来の宗教とは正反対」
「国連加盟国は一丸となって、特別総会の開催を検討してはどうか」
 読み進むうちに、はたと膝を打った。
「なるほど。本質を突きながらも、あえて多くを語らず、か」
 間違いない。会長は日本で一番、中東について発言する資格がある。
 各国首脳、大使等との親交。
 創価大学を通じた学術交流。
 民主音楽協会東京富士美術館を通じた文化交流。
 戸田国際平和研究所などを通じてのイスラムとの宗教間対語、文明間対話……。
 ----日本人は、とかく軽躁にすぎる。事件が起きると、蟻のようにわっと群がる。そのくせ、すぐ忘れてしまう。
「大した貢献も、責任感もないのに"中東通"ぶって、まくし立てる人間もいる。だが、ムードに流され、不用意な発言をして何になる。アメリカ側に立っても、アラブ側に立っても、マスコミを喜ばすだけだ。それに比べ、さすがは池田先生だ」
 増田は、教育活動を通じて学会を知った。会長の国や人種、思想を超えた識者との語らいに驚嘆した。
 一人の人間が、これほどの歴史を残せるのか。
 聖教新聞に寄稿した。
「二十一世紀を、真の『平和の世紀』に転じゆくカギは何か。池田会長自ら範を示しているように『だれびとであれ』また『いかなる国であれ』、そこに『人間』を見続けていく行為である」
 途端に、嫌がらせの電語や手紙が続いた。
「情けない。ちっちゃい連中だ。まぁ、これで僕も、ほんの少しだけ、池田先生のご苦労を教えていただいた気になりましたよ」
 からからと笑う。
 聖教新聞の若い記者が聞いた。
「それにしても日本は、何かあったとき、いや自分たちの生活に関係があるときだけ、中東に注目する。相変わらずですね」
 そこなんだと、身を乗り出した。
「ましてや池田先生が、どれだけ中東との友好に尽くしてこられたかなんて、知ろうともしない。先生の功績が正当に評価されるようになるのは、ずっと先だろうね」
「十年後、二十年後でしょうか」
 いやいや。小さく手を振った。
 ----狭量、狭量。会長の真価を知るには、日本人は器が小さすぎる。
 (文中敬称略)

 【潮 2008/6 P142〜P143 池田大作の軌跡 抜粋】