師匠の教えのままに実践を

 弟子の側から言えば、「私が全部、苦労を担っていきます」というのが「嘱累」です。それで師弟相対になる。師弟というのは、厳粛なものです。師の一言でも、どれだけ真剣に受けとめているか。「すべて実行しよう」と受けとめるのが弟子です。
 師匠の「口まね」をするのが弟子なのではない。「実行」こそ「弟子」の証です。
 (『法華経智慧』第5巻P298)

 師弟とは、弟子の「自覚」の問題す。形式ではない。師匠に何回、会ったとか、そばにいるとか、幹部だとか、それは形式です。たとえ師匠から離れた地にいようとも、直接話したことがなくても、自分が弟子の「自覚」をもって、「師匠の言う通りに実行するのだ」と戦っていれば、それが師弟相対です。
 根幹は、師匠対自分です。
 (『法華経智慧』第5巻P320)

 希望の光彩6 *女子部教学室編* 「付属」より (6月4日付 創価新報


 本日より、再び『法華経智慧』第1巻から読み始めた。