広宣流布のために、弟子が一致団結できるかどうか。師匠の教えのままに、生き抜けるかどうか。
ここに未来の一切がかかっているのである。
一、『三国志』に登場する青年詩人であり、魏の英雄・曹操の息子である曹植は綴っている。
「たとえ陛下が、お目をかけられなくとも、私はどうしておのれの忠誠をひるがえすことがあろうや。たとえるならば、人に知られずとも芳香をはなつ秋の蘭の如く、また、厳冬にもめげず花を開く桂樹の如くでもある」(伊藤正文注『中国詩人選集3 曹植』岩波書店)
味わいのある言葉である。
他人ではない。自分である。
大事なのは、わが信念に生き抜くことだ。
人がどう評価しようと、自分は正義のため、妙法のため、民衆のために生き抜いていく。
これが学会精神である。真実の信仰なのである。
【8月7日付 聖教新聞 青年部代表研修会】
三国志といえば創価仏法研鑽掲示板「ニュースと情報」で里奈子さんと言われる方が紹介されていた、ドラマ「三国志」を毎夜楽しみに見ている。
昨日"三顧の礼"を経て孔明が表舞台に登場した。
また、試験勉強は盆明けぐらいからしても間に合うだろうと、余裕をかまして満田剛氏著の「三国志--正史と小説の狭間」を衝動買いしてしまった。(苦笑)