2009.11巻頭言

さあ第一線へ 対話の金の波を



 あの人も
  またこの人も
    久遠より
    励まし合いたる
       菩薩の集いか

 「友人の真心の励ましは、闘争心を贈り、困難と悲嘆を克服する活力を贈ってくれる」
 これは、ブラジルの文豪アウストレジェジロの言葉である。
 励まし合える友がいる。苦楽を分かち合い、共々に試練を勝ち越えゆく同志がいる。これほど心強い人生の支えがあろうか。
 「君が愁いに我は泣き 我が喜びに君は舞う」。この青春の讃歌さながらに、深く尊く結ばれた奇跡の連帯が、創価学会だ。
 わが師・戸田城聖先生は、常々、語られた。
 「地道でなければ、難攻不落の城は築けない。少人数の中に飛び込み、語り合って、今日の学会は出来上がってきたのだ。
 新たな真の同志を創る。本物の一人を育てる。これが、新しき飛躍の時を創るのだよ」

 共々に
  三世の旅路の
   兄弟と
    肩組み  ほほえみ
         勝利の道ゆけ

 法華経の会座では、七宝に荘厳された巨大な宝の塔が、多宝如来と共に涌現する。その宝塔は、一体、何を表しているのか。
 日蓮大聖人は、阿仏房のこの質問に答えて仰せである。
 「末法に入つて法華経を持つ男女の・すがたより外には宝塔なきなり」「然れば阿仏房さながら宝塔・宝塔さながら阿仏房・此れより外の才覚無益なり」(御書P1304)
 ほかでもない、あなたの生命こそが尊極な宝塔なのだよ、と。
 この宝塔は、何ものにも侵されない。何ものにも負けない。生老病死のあらゆる苦悩をも、常楽我浄の香風へと転ずるのだ。
 命にも及ぶ大難の佐渡にあられて、大聖人は、一人ひとりの庶民に語りかけ、自らの大いなる仏の生命に目覚めさせていかれた。
 「一人」の心を変えることから「一切」が変わる。私たちの対話は、大聖人の使者として、生命の宝塔を林立させゆく戦いである。

 いついつも
   広布の同志を
   励まして
    陰で指揮とる
       金の汗かな

 御聖訓には「此れより後も・いかなる事ありとも・すこしもたゆむ事なかれ、いよいよ・はりあげてせむべし」(御書P1090)と記される。妙法を持った人間は「不惜身命」である。ゆえに臆病な及び腰であってはならない。勇気凜々と正義の攻勢を貫くのだ。
 我ら創価の三代は、難があればあるほど、「師弟不二」の信心から迸る真実と正義の励ましを、一人また一人に徹して送り続けてきた。広宣流布のために断固と戦う、燃え上がる信心の叫びなればこそ、師子王の心を奮い立たせることができる。
 会長を辞任後、私は一軒一軒、功労者宅の家庭訪問を重ねた。それは、四国で五百軒目を数えた。奇しくも、あのフェリーで神奈川文化会館へ駆けつけてくれた同志のお宅であった。恩知らずの悪侶の迫害に苦しめ抜かれた地域である。友は語った。
 「私は一生、戦います。"見たか 創価学会は正しいじゃろが"。勝ちに勝って、こう叫ぶ。これが私の決意です」
 御書には、健気な門下の家へ訪問されたいお心を「今一度はみたてまつらんと干度をもひ」(御書P1461)とまで仰せである。
 魔は人の心を分断する働きだ。仏は自ら動いて魔を打ち破る。真剣な個人指導、家庭訪問は、仏と魔の戦いの最前線でもある。
 ただし仏法は道理だ。急に家へ上がられては、困る場合も多い。玄関先でも心は通ずる。真心の一言が命に響くのだ。
 米国タフツ大学のハンター名誉教授は語ってくださった。
 「創価学会は、思想を伝え、実践していく場として小単位に焦点を当てています。ここに、学会の強固な発展の基盤があります。そして会員の間には、仏法の実践で得た喜びを、人びとに伝えずにはいられない情熱が漲っているのです」
 座談会は、人類史の最先端と光る精神のオアシスだ。さあ、広布の第一線へ、今日も走ろう 朗らかに対話の金の波を

 天高く
   勝利のスクラム
       堂々と
      君も私も
        勝ちまくれ 

 盆前から、法戦をはさみ、休みなしでしていた仕事を、30日に納品しほっとしております。(少し宿題はありますが…)