2010.04巻頭言

「変毒為薬」の歓喜の劇を



無限なる
 変毒為薬の
     法なれば
   断じて勝ちぬけ
       諸天も守らむ

 「"そんなことができるものか"と言われると、逆に、よし必ず実現してみせるぞと、負けじ魂が燃え立つのです」と明るく微笑まれるのは、共に対談集を発刊した、アメリカの未来学者ヘンダーソン博士である。
 使命の行動に困難が伴うのは当たり前。困難であればあるほど、勇気を奮い起こして戦う。この朗らかな太陽の心を、創価の女性と深く共有されるリーダーである。
 襲い来る艱難に呑み込まれてしまうか。それとも、押し返し、打ち勝っていくか。人生も社会も、その真剣勝負といってよい。
 いかなる試練に直面しようと、必ず乗り越えてみせる。のみならず、逆境を大転換し、それまで以上の境涯の高みへ跳躍する。この生命の大歓喜の劇を、万人に開いたのが「変毒為薬(毒を変じて薬と為す)」の哲理でみる。『大智度論』また天台大師の『法華玄義』を踏まえられつつ、濁悪の末法を生きゆく民衆のために、日蓮大聖人は宣言してくださった。
 「能く毒を以て薬と為すとは何物ぞ三道を変じて三徳と為すのみ」(御書P984)
 どのような「煩悩」や「業」や「苦」であろうとも、それを変じて、仏の「生命」と「智慧」と「福徳」を勝ち開いていく究極の力こそが、南無妙法蓮華経なのである。
 変えられぬ宿命など断じてない。ゆえに、決して嘆かずともよい、そして絶対に諦めなくともよい希望の光が、ここにあるのだ。

負けないと
  決意の人には
       幸 光る

 大聖人の門下として正しき信仰ゆえに、池上兄弟は兄が父から勘当された。四条金吾は主君からの所領没収の危機に陥った。背後には、卑劣な坊主どもの陰謀があり、讒言があった。当時の武家社会で、絶体絶命の窮地である。
 しかし御書には「今度ねうしくらして法華経の御利生心みさせ給へ(この難を耐え忍び抜いて、法華経の御利生を試してごらんなさい)」(御書P1084)と仰せである。さらに「必ず大なる・さはぎが大なる幸となるなり」(御書P1164)とも激励されている。
 それは、勘当が許されるとか、所領が戻るとかという次元を突き抜け、最悪のどん底から一挙に最高の勝利の頂へ至る道だ。
 師の御指導通りに戦い切った池上兄弟は、猛反対だった父を入信させ「千万年の栄え」へ通ずる一家和楽を勝ち取っている。
 四条金吾も、偏見の主君を理解者へ変えただけではない。鎌倉中の人々から「第一なり」「天晴れの男なり」等と謳われゆく威風堂々の実証を示したのである。
 厳しい冬を勝ち越えた北国の春は「爆発する春」と呼ばれる。一番大変な冬の時に、勇気ある師弟不二の信心を貫いた弟子は、想像を絶する大勝利の春を開くことができる。これが「変毒為薬」の極意である。
 戸田先生は、悩める友を励まされた。
 「難が来たら喜べ その時が信心のしどころであり、宿命転換のチャンスである。仏法は、百発百中の『変毒為薬』の大法である。たとえ失ったものでも、元の十倍、百倍の大功徳となって取り返せるのだ」

幸福は
  苦難に負けずに
       朗らかに
  勝ちゆく中に
    不減に咲きなむ

 昭和二十七年の春、埼玉県の川越地区で、私の御書講義に真剣に出席された一人の母がいる。私が最敬礼してお渡しした修了証書を家宝とされ、「この妙法の偉大さを一人でも多くの人に」と行動を開始された。
 苦しい家計から交通費を捻出し、愛する埼玉の天地を一心不乱に奔走してこられた。
 九十歳を超えた今も、大福運に包まれ、かつての心臓発作が嘘のように、健康長寿を謳歌されている。創価大学に学んだお孫さんが、晴れの式典で美事な中国語で挨拶してくれた英姿も、私は嬉しく見つめた。
 恩師は叫ばれた。「学会は、庶民の味方である。悩める人の味方である。これほど崇高な使命はない。変毒為薬の功徳を勝ち示しながら、広宣流布を進めていくのだ」
 世に蔓延する毒に侵され、怯えながら、不幸から不幸へ、混乱から混乱へ流転してきたのが、人類社会の悪業であった。
 その毒をも恐れなく薬に変え、すべてを人間の幸福のため、生命の尊厳のため、世界の平和のために、白在に活かし切っていく戦いこそ、私たちの「立正安国」である。
 さあ春だ。勇気の対話を薫風の如く

断固たる
 勝利の創価
    勝鬨
  十方三世に
    轟き 湧きなむ