言うほど簡単じゃない

 和歌山県串本町沖の海底で、120年前の1円銀貨が発見された。1890年9月に沈没したトルコ軍船エルトゥールル号の遺品。3年にわたる発掘調査で、約5800点の品が見つかり、一部はトルコでも展示される。
▼暴風雨の中で救助にあたったのは近隣の村人たち。遭難者の世話をし、遺体を手厚く葬った。死者580人超、生存者69人という惨事だったが、日本人の献身は今なおトルコで語り継がれる。“何とか助けたい”という懸命な行動が信頼となり、交流は時代を超えて続いている。
▼中国の言葉に「患難見真友(困難な時に真の友が分かる)」とある。1974年、池田名誉会長(当時、会長)は第1次訪中の折、中日友好協会の廖承志会長に「大変な時は遠慮なく言ってください。千年先、万年先でも応援に来ます」と、
▼後年、国際社会で中国が孤立していた時、名誉会長は300人の学会代表と訪中。その決然とした行動に、中国は深い感謝を寄せた。そうした誠意で結んだ信頼のネットワークは、世界各地に広がる。
▼苦しんでいる時に、手を差し伸べる――口で言うほど簡単ではないが、いざという時に人間としての真価が問われる。友との日々の対話にもこの心であたりたい。まず“勇気の一歩”を心したい。(立)
 【2010.9.12付 聖教新聞

 土曜日は13時まで宝城会の任務、そのまま会館に残り衛星放映に参加、終了後(師弟勝利の中之島大会の放映は、婦人部長が設定した時間に間に合わないため残念ながら、見ずに切り上げる)バイクで14日に転出される方のマンション(オートロック)前に向かう。
 ちょうど当日一度に運べないとの事で、小間物を自家用車に積んでスタートする寸前に出合い、助手席の窓をノックし、引きとめている時に、婦人部長が自転車で到着、挨拶する事ができました。
 婦人部長の設定時間がドンピシャで、もし出会えなければ、また訪問しなくてはならなかった。と、顔を見合わせて"ラッキー”と、親指を立てました。
 続いて20日に転出される方を訪問、こちらは残念ながら留守で、あらためて夜に訪問し挨拶しました。いっぺんに2軒のスーパーKが支部から転出されさみしくなります。
 日、月は2軒の葬儀が重なり、導師をさせていただく等、いろいろとあってバタバタの2日間でした。
 6月中旬より選挙、友好期間をはさんで約3カ月、仕事らしい仕事がなく、私的にはゆっくりした日々を過ごしておりましたが、本日予定通り受注があり、明日から忙しくなりそうです。