不撓

 昭和32年4月16日、青年部の室長であった若き池田名誉会長は大阪・四条畷市を初めて訪れた。同志を励まし、「不撓」との揮毫を認めて語った。「不撓とは屈せず、たゆまずということです」
▼同年7月17日、雷鳴が轟き、激しい雨が大地をたたく中、行われた「大阪大会」。室長の勇姿を見た草創の壮年はハッとした。「不撓」――室長の姿は、揮毫そのものだ、と
▼平成11年、壮年は、がんに侵され、喉頭をすべて摘出。一時、声を出せなくなった。が、“何としても、広布の第一線で語り抜きたい”と、食道発声の練習を開始。少しずつ、発声ができるように。今、正義の対話に尽力する。「何があっても、師と共に前進し続ける。それが『不撓』の精神です」と
▼一主婦から市民運動を起こし、社会を変革してきた未来学者のH・ヘンダーソン博士は、創価学会を「最も不撓不屈の民衆の団体」と讃える。この連帯が出来上がった理由を問う博士に、名誉会長は答えた。「まず、一人ひとりの人間革命に焦点をあて、皆が小さな自分のエゴを乗り越え、人々のため、社会のためという大きな目的に生き抜いてきたことです」
▼大願に生きる!――この一点に心が決まるとき、不撓の人生の快進撃が始まる。(芯)

今日は公示日、奇しくも奥様の66回目の入会記念日