2011.07巻頭言

地涌の青年よ!大法弘通の舞を

青春を
  闘い勝ちゆけ
    快活に
   君の尊き
     歴史 築けや

 「大切なことは、新時代を建設する『勇気』を持つことである」と、南米アルゼンチンの「人権の闘士」エスキベル博士は語られた。
 法華経に説かれる地涌の菩薩は、最も困難な時代に、最も鮮烈な勇気の光を放って登場する。自らを信じてくださる師匠の呼びかけに応え、広布の天地に勇んで躍り出るのだ。


 ♫ 捨つる命は 惜しまねど
   旗持つ若人 何処にか ……

 あの「同志の歌」に謳われた如く、戦後の荒野に、師・戸田城聖先生は一人、命を賭して立ち上がられた。
 未来ある青年たちをあまりにも残酷に犠牲にした狂った軍国主義と、戦い抜かれた先生である。尊き青年の生命を踏みにじる権力の魔性は断じて許さぬと、憤怒されていた。
 そのためには、青年自身が正しき生命尊厳の哲理に目覚めゆくことだ。青年が恐れなく力を発揮し、青年が連帯して声をあげゆくことだ。
 戸田先生ほど、青年を愛し信じてくださった指導者を、私は知らない。その先生が、人類史の流れをも変えゆく壮大な展望をもって結成されたのが、わが創価学会青年部である。
 皆、貧しく無名であった。だが決然と、使命の勇者に生まれ変わった。
 日蓮大聖人は、青年の南条時光へ「願くは我が弟子等・大願ををこせ」(御書P1561)と仰せになられた。
 そして、法華経の「願くは此の功徳を以て普く一切に及ぼし我等と衆生と皆共に仏道を成ぜん」(同)との経文を贈っておられる。
 仏の大願を我が誓願とする若き魂には、仏と同じ勇気と力が迸るのだ。
 昭和二十六年の七月十一日には男子部が、十九日には女子部が誕生した。その息吹に沸く七月十五日、二十三歳の私が逸る心で走ったのは、東北の杜の都・仙台であった。
 心から愛し、信頼できる東北健児が待っていてくれた。座談会では、自らの体験を真剣に語った。八人の新来の友が全員、入会を決意したと記憶している。ここから、名門・仙台支部の躍進が始まったのだ。
 「青年よ、一人立て 二人は必ず立たん、三人はまた続くであろう」とは恩師の不滅の師子吼である。
 以来六十年。東北の人材の青葉城は風雪を越え、厳として聳え立つ。
 今、未曽有の大災害に立ち向かい、偉大な同志たちが巌の如き信念で、忍耐強く奮闘を続けてくださっている。それは、「其の志念は堅固にして大忍辱力有り」と讃嘆される、地涌の菩薩の姿そのものである。
 東北をはじめ、世界の華陽の姉妹たちも、なんと健気に清々しく、平和のスクラムを広げていることか。
 「対話によって何かを変えることができます。多くのことを、いな、どんなことでも変えることができます」。こう語られるアメリカの詩人ワイダー博士も、創価の乙女に最大の希望を見出してくださっている。
 御義口伝には、「色心の二法を妙法と開悟するを歓喜踊躍と説く」(御書P722)と仰せである。
 どんなに深刻な危機や不況が襲いかかろうとも、妙法と一体不二なる尊極の生命を自覚した歓喜踊躍の青年に、乗り越えられぬ試練はない。
 わが地涌の青年たちよ、いよいよ朗らかに大法弘通の舞を舞いゆけ


 君もまた
  わが弟子なれば
    恐れなく
   広布凱歌の
    先駆 走れと

 関西の月、七月 そして、本日、師弟原点の「7.3」である。
 「新たな常勝の歴史を」と、関西青年部に先生よりメッセージを贈られた。と、聖教の1面に


 関西男子部書記長も、また、関西女子部長も地元より誕生、我が地域が関西の先陣の使命を冠したと、壮年部ながら(身はメタボですが ^_^; )身の引き締まる思いでいっぱいです。
 意義ある「7.3」新たな男子部員が誕生した。
 彼は、統一選前から紹介者とともに座談会に参加、また、先月の座談会に参加し入会を決意された。
 19日に、私と地区幹事さん、紹介者とともに家庭訪問、本当に素直で前向きな青年でした。
 彼には今は解らないかも知れないが、関西の広布史を語り「7.3」を入会日と決めると、「当日はスーツで行った方がいいですよね?」と彼が、「いや、これからはクールビズだからそれなりでいいよ」と、その足で、仏壇を購入、ご安置できるように準備万端、満を持して本日ご本尊様をいただかれた。
 関西新書記長(前県男)、総県男、圏男、等々、大勢の男子部から激励され、元気いっぱい、そして会場には応援団いっぱい、大歓喜の中での入会式となった。\(^o^)/\(^o^)/
 私事ですが、独立開業して本日で10周年を迎える事ができました。