「発迹顕本」

きょう、竜の口の法難の日  自身の“発迹顕本”目指し前進を

 日蓮大聖人の御生涯は、迫害に次ぐ迫害の連続であられた。とりわけ文応元年(1260年)7月16日、「立正安国論」をもって国主諫暁をされたことを機にその激しさを増していった。
 その翌月に起きた松葉ケ谷の法難に始まり、弘長元年(1261年)の伊豆流罪、文永元年(1264年)の小松原の法難と続き、そして同8年(1271年)9月12日の竜の口の法難で大聖人への迫害は頂点に達した。
 同法難は、政治権力者と宗教権力者とが結託して、大聖人を亡き者にしようとした王難にほかならなかったが、いかなる権力をもってしても大聖人の御命を奪うことはできなかった。そこで大聖人を佐渡への流刑と処したのである。
 しかし、竜の口の法難を機に発迹顕本され、末法の御本仏としての赫々たる御境地を顕された大聖人は、極寒の佐渡の地で、しかも四六時中、念仏者に命を狙われるという最悪の状況にありながら、微動だにされなかった。
 「当世・日本国に第一に富める者は日蓮なるべし」(御書223ページ)、「流人なれども喜悦はかりなし」(同1360ページ)等々の御文に示されているように、「生命根本の勝利」「人間としての究極の勝利」と言うほかない歓喜と感謝に包まれた御境涯であられた。“かくも人間は偉大なり”ということを御自身が身をもって示してくださったのである。
 宗教家・思想家の内村鑑三は、その著『代表的日本人』で、日本における本当の意味での宗教的迫害が、日蓮大聖人をもって嚆矢とすることを指摘しながら、竜の口の法難に続いて、佐渡流罪という死罪にも等しい迫害を勝ち越えたことについて、「肉に対する心の、また力に対する精神の勝利」(筑摩書房)と称賛した。
 池田名誉会長は8月の信越最高協議会で次のような戸田先生の指導を紹介した。
 「行き詰まりを感じたならば、大信力を奮い起こして、自分の弱い心に挑み、それを乗り越え、境涯を開いていくことだ。それが我々の月々日々の『発迹顕本』である」(本紙9月2日付)
 私たちは、大聖人と同じく不惜身命で大難を勝ち越え、広宣流布の道なき道を切り開いた創価の三代会長に連なる使命深き地涌の菩薩である。その深い自覚に立ち、「師弟の道」に徹するならば、いかなる苦境も乗り越えられないはずがない。そう確信し、永遠勝利の道を開いていきたい。

【9月12日付 聖教新聞 社説】