極楽百年の修行

「極楽百年の修行は穢土の一日の功徳に及ばず」

 御書P329 L5 報恩抄

極楽百年の修行

 末法万年にわたって南無妙法蓮華経広宣流布していく功徳は、伝教・天台、竜樹・迦葉にも優れていることを説かれています。
 末法濁世の衆生を根底から救う功徳は計り知れない。そのことを「極楽百年の修行は穢土の一日の功徳に及ばず」と仰せです。
 大変な時にこそ、最極の仏道修行ができるのです。その労苦が無量の大功徳となるのです。
 「極楽百年の修行」とは、一言で言えば、何の困難もない恵まれた環境の中での仏道修行です。それでは、自身の人間革命を実現することは難しい。生命の錬磨と変革がなければ、たとえ百年の修行を重ねても成仏の道を遂げることはできません。
 これは、当時の念仏の教えが、極楽に往生してから仏道修行をすることを強調していたことに対する痛烈な破折でもあります。多くの宗教が現実から逃避して"極楽なる世界"を志向するなかにあって、どこまでも、この現実世界こそが真の仏道修行の道場である。「厳しい試練の中で勝利の道を開いてこそ、真実の生命錬磨の仏道修行になると説かれているのです。 

大白蓮華 2008-10 P63〜P64】


 この御文は、本ブログのサブタイトル?にもしており、心に刻んでいる御書の一つです。