身子が六十劫の菩薩の行を退せし

 「眼をくれ」と言っておきながら、それを捨てて、踏みつけた婆羅門によって、実は舎利弗の心は、試されていたのである。
 舎利弗は、せっかく長い長い修行を積み重ねてきたが、究極のところで、万人成仏の法を信じ抜くことができなかった。一切衆生に仏性が具わっているという、大仏法の法理を確信できなかった。悪縁に触れて、無明という迷いの生命が、自らの胸中にわき起こり、信心をかき乱されてしまったのである。
 結局、いざという時に、舎利弗は師の教えを忘れ、自分の心に敗れたのだ。
 山本伸一は、言葉をついだ。
 「大聖人は『開目抄』で、さらに『善に付け悪につけ法華経をすつるは地獄の業なるべし』(御書P232)と仰せになっている。
 いかなる理由があろうが、信心を捨てれば敗北です。不幸です。地獄のような、厳しい苦悩の生命に堕ちていく。
 どうか、この御聖訓を、絶対に忘れないでいただきたい。妙法は宇宙の根本法則です。それを曼荼羅として御図顕されたのが御本尊です。その御本尊を、信じ切っていくなかに、永遠の幸福の大道がある。
 そして、大聖人は、この御文の後、『大願を立てん』(同)と宣言される。
 この御精神を受け継ぎ、末法広宣流布のために出現したのが、わが創価学会です。皆さんも、その学会の後継者として、生涯、広宣流布の大願に生き抜いていただきたい」
 皆、一言も聞き漏らすまいと、真剣な表情で耳を傾けていた。
 「大聖人が『善に付け悪につけ』と仰せのように、魔は、“法華経を捨てれば国主の位を譲ろう”“念仏を称えなければ父母の首をはねるぞ”などと、誘惑と脅しを巧みに使い、アメとムチで責め立ててくる。
 しかし、『種種の大難・出来すとも智者に我義やぶられずば用いじとなり』(同)と大聖人は言われている。御自身の正義が智者によって破られない限り、いかなる大難にも、決して動ずることはないとの仰せです」
  【 小説「新・人間革命」 波濤42 】より