何のため

 寓話を一つ。ある日、レンガ運びをする3人がいた。彼らに通り掛かりの人が尋ねる。「何をしているんだい」
 1人目は「レンガ運びだよ」と答えた。2人目は「壁を作っているのさ」。そして3人目は誇らかに「城を建てているんだ」と。見た目は同じ作業をしていても、心の持ち方一つでやりがいは大きく変わる。
 「何のため」という目的を考える人の心は、限りなく広がっていく。初代会長の牧口先生の箴言に「大目的が確立してこそ中目的、小目的が明確になり、その方法もうまれる」と。高い志の大目的が定まればこそ、目の前にある中小の目的もまた、かけがえのないものとして輝きを増してくる。
 先日伺った同志の家に、彼の“大目的”を記したメモがあった。「広布の人材に成長する!」――それを勝ち取るための中目的がいくつか書かれている。その一つに「信頼輝く地域勝利の存在に」とあった。そして、それを実現させる数個の小目的の最初に、「出会った人に、自分からあいさつをする人になる」と挙げていた。
 見た目には、決して華々しくはない行為も、その人の志が高くあれば、生み出す価値は無限に大きくできる。広宣流布という崇高な目的観を抱きつつ、地道に、誠実な振る舞いを重ねるところに「道」は開かれる。(白)

2017.10.23付 聖教新聞 名字の言より