面倒見のよい

 ある支部幹部会に参加した。支部長が交代する新出発の会合である。汗をふきふき、新支部長が自己紹介を始めた。
▼生まれてすぐの病気で身長が伸びない。小学生時代、自分より背の高い下級生にいじめられた。生活は苦しく、間借りしていた家を追い出された。さびれた遊園地の売店跡で、一家8人、息をひそめて暮らしたこともある。何とか中学は卒業したものの、つらい“丁稚奉公”が待っていた。一筋の希望を託して、一家は創価学会に入会する。
公営住宅に入居。仕事場、活動の拠点、自宅と「お金がないので、自転車で何時間も往復する毎日でした」。「身長も学歴も財産も、人と比べて自慢するものなどなかった。でも、学会活動する日々は誇れるものでした」
▼「学会の同志だけが身長とか学歴とか、関係なしに付き合ってくれました」「もう人と比べへんけど一つだけ……。前の支部長は、ほんとに面倒見のよい方でした。その点はまだ負けています。よろしくお願いします」。拍手がしばらく続いた。
▼“蔵の財、身の財よりも心の財”の御書の一節が浮かんだ。その御文を、無数の庶民が「人間革命の実証」として蘇らせた、創価学会の偉業を思った。そこに連なる自らの福運に感謝し、胸が熱くなった。(哉)

 創価学会は、校舎なき総合大学、日々いろいろな事を学ばせていただいている。
 本当に学会員で良かった、報恩感謝の毎日である。
 さあ100周年へ